
明治6年ですから、金比羅さん参りから2年後に亡くなられています。
金比羅さん参りは、横田安平さん50代後半、友田千座さんと山永幸吉さんは27歳ですからテレビの水戸黄門漫遊記みたいな3人組の旅姿が思い浮かんできます。

口石町内には数年前に調べた時には57個の井戸がありました。さすがに飲料水としては使われてはいませんが、風呂や雑用水としては電動ポンプをつけてかなりのものが使用されていました。
横田家の家系
横田安平→三代松→奥次郎→安之助→昭→憲治
日本の西の端、長崎県は佐々町口石にある田舎の・いなかのお話です
口石町内には数年前に調べた時には57個の井戸がありました。さすがに飲料水としては使われてはいませんが、風呂や雑用水としては電動ポンプをつけてかなりのものが使用されていました。
横田家の家系
横田安平→三代松→奥次郎→安之助→昭→憲治
(横田家に伝わる金比羅さんの木札)
それから今年で124年目この春のお祭りには旅回りの役者一行の芝居がかかったり出店も出て賑いを見せていました。戦後は、青年団の若者が中心になって演芸会を行っていましたが、最近はPTA、子供会、消防分団、婦人会などの皆さん方のご協力で演芸会を行うようになりました。
というのが平成7年4月10日(とおかの日曜日)の演芸会当日に配った口石金比羅さんの由来記です。上の写真の木札(約1メートルX20センチ、厚さ2.5センチ)を見て書いたものです。
写真では文字が読めないと思いますから書き記します。真ん中上から下に
金刀比羅宮奉二夜三日祈祷家内安全守護攸
両側上部に 明治四年十二月吉日 下部に 本宮社務 と書かれています。
明治4年といえば廃藩置県の年で、明治5年に汽笛一声新橋を日本最初の汽車が走った年です。田舎はどんな状況だったか想像できませんが、金比羅さんまで行くとなればまとまったお金がなければできなかったことでしょう。
現在、四国の金比羅さんの本宮で出されているお札(大90センチ)の写真を添付しますが、日付は入れてありません。
写真は建設中の口石町内会集会所(約80坪)は今年3月に完成予定
佐々町は佐世保市と合併するものと思っていたけど、住民投票で当分は合併せずに単独を選びました。その中の口石町内会は戸数330、人口1200人ばかりのもともと農村地帯の集落です。
この集落にも小高い丘の上にどこにでもある金毘羅さんの祠があります。そして明治4年の日付が入った木札があります。毎年4月と9月に集落のお祭りを行っています。この祭りは地区によっては3月や10月に行われるところもありますが、昔から10日に行われていました。
このことから聴力が悪い人・・・耳が遠い人のことを「金毘羅さん」といっていました。すると私も子供のころから左耳を悪くして左側からの声に反応せず金毘羅さんということになります。
そんなこともあり口石金毘羅さん、町内会の記念碑や昔のことを少しづつ書いていくことにします。
(注)10日は「とおか」 耳が遠い人のことを長崎県の方言では耳のとおか人と言います。