長崎県北のこの一帯は、終戦直後の一時期、黒いダイヤ、石炭で一世を風靡しました。人口は膨れ上がり我々の小中学校はすし詰め学級そのものでした。その時は何ともなかったものが、数十年後、炭坑閉山からずいぶん経って、あちこちで鉱害の影響が出てきました。住宅は傾いたり、田んぼの水漏れなどは国の予算で復旧工事が行われました。今もこの地方の地下には石炭採掘のための坑道が縦横に走っています。復旧工事が終わって、記念碑がたてられるということは、今とは違って、予算にかなり余裕があったのではないでしょうか。
自民党政権下で行われた、農地の改善事業の場合、いたるところに完成の記念碑だらけということは、ふんだんに予算が付けられていたことの証明ではないでしょうか。


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