2011年10月24日月曜日

口石の橋(10)高速道路の橋

 この9月に、予定より半年遅れで、佐々まで高速道路が延びてきました。みんな高速道路と呼び最高速度70キロ/hですから、西九州自動車道路の一部のはずですが、正式名称は、一般国道497号線です。何といっても料金がかからず、すーと入って行けるところがいいですね。











 開通前のウォーキングも賑いました。当日は天気も良く少し暑かったので、ビールの飲み過ぎになりました。




・ 須崎橋(すざきばし)

  佐々ICから入ってすぐの橋がこの橋です。町道赤崎線の赤崎橋(メロディ橋とも言います)の付近に架けられています。佐々IC付近は長崎県では有数の稲作水田が広がっているところに作られました。江戸時代に平戸松浦藩の干拓によって作られたところです。今回の道路建設でずいぶん田んぼが埋め立てられて、大雨の時、冠水するのではないかと心配され、大型のポンプで佐々川に放水する設備も作られました。
 この橋の橋桁は鋼鉄製です。他の橋はほとんどがコンクリート製であるのになぜでしょうか。




・木場川橋 (こばがわばし)
  富田橋(通称とんだばし)の所に架けられました。この付近は護岸工事も行われて、一帯の様子がずいぶん変わりました。


・口石大橋 (くちいしおおはし)
  妙見橋(通称ぜんもんばし)の所から、森の木田原の上を縦断していて、全長が600メートルにも及ぶ陸橋です。我が家からも近いところで、コンクリートを打つ作業の時は交通規制もあり、回覧板を回したりもしました。長い期間工事が続き、途中で建設会社の倒産でしばらくは工事がストップしたこともありました。左官さんとも知り合いになり話を聞いていたら、島原半島の有家の人たちで、仕事が終わってから車を乗り合わせて帰り翌日は朝間に合うように来るというのですから大変な通勤時間に驚きました。この橋の建設が高速道路の建設の実感を感じていました。 





・口石跨道橋(くちいしこどうきょう)
  佐々ICと相浦中里ICのちょうど中間地点の山頂に架けられています。高速道路を走っていると山の中でよく見かけるものですが、先日現地まで行ってみて渡りましたが、立派なものです。イノシシも渡りやすいでしょう。
  この付近には、広い空き地があり「国土交通省」の名が入った境界の杭がたくさん打たれています。サービスエリアの建設予定地だそうです。この西九州自動車道路は佐々から松浦、伊万里、唐津を通って福岡まで延びる計画はずっと前に発表されました。しかし、今の財政状況では、佐々が永久に終点になりそうな感じがします。サービスエリアも今の状況では出来てもお客は入らないでしょう。
線路を跨ぐのが跨線橋というのは知っていましたが、道路を跨ぐのを跨道橋というのは初めて知りました。実際にそこまで行ったのは最初で、立派な舗装道路です、普通車がすれ違える広さです。





2011年10月17日月曜日

口石の橋(9)平田橋、半坂橋

・平田橋(ひらたばし)
  順手川の最上流、平田溜池の水の落とし口の所に昭和61年に架けられました。当時定時制高校勤務をしていたので、早朝から大型トラック(トレーラーだったかも知れない)何台もやってきて工事を始めたので、物珍しくずっと見ていて工事関係者とも話をしたりしました。   




 写真からも分かりますが、川幅は狭いのですが、川を斜めに横断するために、かなり長いコンクリートの橋桁が6本、6台のトラックで運ばれてきました。その他に大型のクレーン車もきました。作業が始まって間もなく、橋桁を下ろそうとしたクレーン車がゆっくりと傾き始めそのまま横倒しになりました。たしかその日は、雨上がりで足場はあまり良い状態ではありませんでした。パイプを組み立てた大型のクレーン車が倒れたのですから、どうなるのだろうと思っていたら、かなり時間がたってから、小型のクレーン車がやってきて助け起こし作業は、その後順調に進みました。




 その時、久留米ナンバーのトラックの運転手たちは、かなり待たされたので、付近の順手川で「サワガニ」捕りを始めました。口石の者は誰も捕らないのでかなりの量を捕まえていました。これは大変旨いのだと運転手たちは話してくれました。




 その後、道路も整備され町道「淨香谷(ジョーゴダニ)線」は千本団地建設など利用が広がりました。





・半坂橋(はんざかばし)
  橋であるのは間違いないでしょうが、橋と言うよりは、溝蓋と言った方がよさそうですが、町の台帳には、半坂橋と記入されています。川の名前は記入されてなく不明です。この川の水は大山口の堤に注いでいます。最初に通ったころからすれば、かなり広くなっています。3度工事された経過が良く分かります。




 橋を利用する民家は最初の頃は、2戸だけでしたが、現在では6戸と1施設、この施設はグループホームです。車社会となり道路の幅も広くなりました。


2011年10月10日月曜日

口石の橋(8)順手3号橋、4号橋

・順手3号橋

  町道正福寺線に架かっている橋です。この町道が出来る前には、歩いて通る事が出来る細い道がありました。しかし、ここの橋は古い電柱を1本置いてあるだけだったので、小学生は面白がって歩いていましたが、大人はめったに渡っていないようでした。この道路が出来て橋がかかったら車も通れるようになりましたが、途中の道幅が狭くて、バックしなければ離合できないところもあります。




・順手4号橋



 4号橋は3号橋から10メートルほどしか離れていませんが、こちらは、佐々町道淨香谷線に架かっています。早く出来たのが、正福寺線で淨香谷線が後から出来たのにこの二つの町道が交差するここでは、正福寺線の方が一旦停止しなければなりません。私には不自由になりました。






2011年10月3日月曜日

口石の橋(7)順手橋、正福寺橋、公会堂の橋

・順手橋(じゅんでばし)
  この橋は、明治20年に旧県道が整備されたとき、最初に架けられたそうです。当時は石橋だったのでしょうか。


佐々町郷土誌(昭和57年版)に順手橋の石柱の写真が草むらに立っています。















 農業用水路として役目が大きいこの川にはいたるところに、このような取水のための堰が作られています。







・正福寺橋



  浄土真宗西本願寺派の正福寺の真正面に架かっている橋です。

 すぐ横に、佐々町消防団第5分団の消防詰め所があります。







・公会堂の橋

 公会堂と言う呼び名は公民館と変わり、今では集会所となりましたが、昔からの人は、公会堂とか公民館の所の橋といっています。ここにある堤の水の流れ口に架けられた橋といえばいいようです。


2011年9月26日月曜日

口石の橋(6)順手1号橋、2号橋

 木場川に架かっている橋については終わりましたので、今回から、順手川に架かる橋を下流側から見ていきます。


・ 順手1号橋(じゅんていちごうきょう)


 口石と新町町内会の境に位置していて、新町団地の小学生の多くはこの橋を渡って運動場側から口石小学校に通学しています。この道は自動車も通る事はできますが、かなり狭いので軽自動車以外はあまり通るのを見ません。





・ 順手2号橋(じゅんてにごうきょう)
 この橋は1号橋より少し順手川の上流にあり新町団地と国道204号線につながっています。新町団地はかなり前に作られ、最近補修がされるようなこともありましたが、この2号橋付近には戸立ての新築住宅ができたり、ドラッグストアの大型店舗が出来たりして、小さな川だった順手川の護岸はコンクリートできれいに固められています。  

2011年9月19日月曜日

口石の橋(5)森の木橋、太田橋

森の木橋(モリノキバシ
  昭和2年に最初の森の木橋は口石の住民によって鉄筋コンクリートで架けられました。この事に付いては、昨年の5月31日の本ブログで詳しく述べていますので、重複は避けたいのですが、橋の建設費が683円で村役場から、その3分の2が出されています。しかし、開通式は盛大に行われて当時の口石の戸数は60戸ほどでしたが、酒を6斗5升飲んでいます。宴会費用は123円かかっています。
 現在の橋は車の通行のために架け替えが行われましたが、親柱もなく何の表示もありません。

 森の木橋の辺りには大きな石が沢山あります。口石金比羅さんの記念碑の自然石のものはここら一帯から運んだものだといわれています。
 平戸街道ウォーキングの一行もこの橋を通って半坂越えをして佐世保方面に行ったり、佐々へ来たりしています。


太田橋(オオタバシ)
 この橋が口石の木場川に架かる橋の最上流となります。木場の炭坑が操業中は、この橋のたもとには貯炭場があり、トロッコで四ツ井樋の海岸まで石炭を運んでいました。
 現在の橋は平成6年に架け替えが行われて、3月に竣工しています。
 終戦後間もなく出来た森の木橋や口石東町橋と比べると、平成になってから出来たものは橋も道路も立派になりました。

2011年9月12日月曜日

口石の橋(4)妙見橋、口石東町橋

 妙見橋は通称ゼンモンバシと言われています。高速道路と交差しています。この橋に関しては、口石の旧県道の項で述べましたのでこのくらいにします。





 口石東町橋(くちいしひがしまちばし)


 下写真のようにこの橋にはガードレールはあるけれども門柱(親柱)に当たるものも欄干(手摺)もありません。したがって、橋の名前もいつ架けられたかもわかりませんでした。町道に架かっているので、町役場の建設課に問い合わせたら、道路が口石・東町線と言うことで、「口石東町橋」と名付けられたそうです。いつ出来たのかは調べないと分からないとのことでした。

 すぐ近くに佐々病院(精神科)があるので、「佐々病院の所の橋」と口石の人は呼んでいます。おそらく今後も、正式名称でこの橋を呼ぶ人はいないのではないでしょうか。