

現在は仮設の橋が少し上流に架けられて、迂回道路もそちらに出来ています。西九州自動車道は、当初今年4月開通の予定でしたが、遅れて9月開通と言われていますから、この橋もそれ
までには通れるようになるでしょう。
橋の欄干には真新しいプレートが
付けられています。小浦の集落には「富田」姓が多くありますが、橋の名前とのかかわりについて聞いたことはありません。この橋の少し下流の小浦側の岩がむき出しの所には人工の四角い穴が数か所ありますが、以前この付近から川の水を汲んでいた時のものだろうと聞いたことがあります。


橋の欄干には真新しいプレートが
付けられています。小浦の集落には「富田」姓が多くありますが、橋の名前とのかかわりについて聞いたことはありません。この橋の少し下流の小浦側の岩がむき出しの所には人工の四角い穴が数か所ありますが、以前この付近から川の水を汲んでいた時のものだろうと聞いたことがあります。
こんな立派なネームプレートが付いたのでは、これからの人は「とみたばし」と言うようになるのではないでしょうか。
以前、石の鳥居の項で、口石金比羅さん参道の階段にコンクリート製のものが使われていると書きました(上写真のもの)が、大正10年にこの橋が作りかえられるときに、ここで作ってもらい700メートルほど離れた口石まで若者たちが運んで来たものです。横の長さはおよそ122センチで同じですが高さは15センチ前後、奥行きは24センチ前後とややばらつきがあります。全部で50個ありますが、型枠は若者たちが作ったのではないでしょうか。写真ではよく分かりませんが、セメント部分は表面から剥げ落ちて玉砂利がよく見えますが、90年ほどの年月を感じさせます。
富田橋は口石の橋ではないです。小浦浜迎の橋です。ついでにいうと赤碕橋も四ツ樋です。
返信削除口石の範疇をわきまえてください。
と、言うのも毎年富田橋とその近隣の清掃をしているのは浜迎地区の人なのです。「口石の橋」なんて表題で記事にされたくありません。口石の人が富田橋に何かされたのですか?口石は田園が広がる間際まででしょう。芳の浦の妙見端あたりまで口石だといわれそうですね。
返信削除コメントありがとうございました
返信削除「口石の橋」というタイトルがお気に召されなかったようですね。富田橋を口石のものと言うつもりは毛頭ありません。口石の近辺の橋ということで、木場川、順手川に架かる橋を書き進めています。富田橋に関しては、大正10年に口石金比羅さんの階段をコンクリートで作ってもらい、青年が運んできたとのお年寄りの話を紹介したかったのです。名称のいわれなど、ご存知でしたら教えていただけませんでしょうか。
富田(トンダ)は飛田(トビタ)からの転でしょう。橋の近隣の田は土手迎の人の所有が多かったようですから、離れた田をそう呼んだと聞いたことがあります。
返信削除これからも地元ネタの記事を楽しみにしています。頑張ってください。
飛田から名前の由来があったのですか、納得です。富田姓のことばかり考えていました。これからもよろしくお願いします。
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