・ 江里峠橋(えりとおげばし)
明治20~21年に、旧県道が整備された事を「口石の旧県道」の所で述べました。そこでは、口石町内だけしか書きませんでしたが、その時に江里峠では立派なアーチ式の石橋が架けられていました。
地元の長老、三好芳男さん(89)の話では付近の田んぼは江里部落の鎌倉神社のものだったそうで、この橋を昔は「宮田橋」と呼んでいたそうです。





の漢文での長い文章が刻まれていて、今もはっきり読み取れます。
戦時中、肉弾三勇士で有名になったその一人、北川伍長の生家のすぐ近くです。
日本の西の端、長崎県は佐々町口石にある田舎の・いなかのお話です
写真からも分かりますが、川幅は狭いのですが、川を斜めに横断するために、かなり長いコンクリートの橋桁が6本、6台のトラックで運ばれてきました。その他に大型のクレーン車もきました。作業が始まって間もなく、橋桁を下ろそうとしたクレーン車がゆっくりと傾き始めそのまま横倒しになりました。たしかその日は、雨上がりで足場はあまり良い状態ではありませんでした。パイプを組み立てた大型のクレーン車が倒れたのですから、どうなるのだろうと思っていたら、かなり時間がたってから、小型のクレーン車がやってきて助け起こし作業は、その後順調に進みました。
その時、久留米ナンバーのトラックの運転手たちは、かなり待たされたので、付近の順手川で「サワガニ」捕りを始めました。口石の者は誰も捕らないのでかなりの量を捕まえていました。これは大変旨いのだと運転手たちは話してくれました。
その後、道路も整備され町道「淨香谷(ジョーゴダニ)線」は千本団地建設など利用が広がりました。
町道正福寺線に架かっている橋です。この町道が出来る前には、歩いて通る事が出来る細い道がありました。しかし、ここの橋は古い電柱を1本置いてあるだけだったので、小学生は面白がって歩いていましたが、大人はめったに渡っていないようでした。この道路が出来て橋がかかったら車も通れるようになりましたが、途中の道幅が狭くて、バックしなければ離合できないところもあります。
・順手4号橋
4号橋は3号橋から10メートルほどしか離れていませんが、こちらは、佐々町道淨香谷線に架かっています。早く出来たのが、正福寺線で淨香谷線が後から出来たのにこの二つの町道が交差するここでは、正福寺線の方が一旦停止しなければなりません。私には不自由になりました。