2012年5月28日月曜日

石橋(21)尾崎橋

21.尾崎橋(おざきばし)佐世保市世知原町槍巻(佐々川)
架橋:明治30年 橋長:6.7m 橋幅:3.6m

明治30年に架けられたということは、そのころ世知原から佐世保方面に通じる県道が整備されたのではないでしょうか。現在のバス道路は別の道筋になっていますが、この橋は今も立派に橋として機能しています。
橋の説明板もかなり以前に建てられたものです。英文の説明があります。合併後、佐世保市によって追加のテープが張られています。
橋の袂から見物人のための小道が作られていますが、階段や手すりは地元の人たちによる手作りが感じられます。他の所では、鉄とコンクリートの階段と手摺ばかりですが、ここのは、竹をロープで縛って丁寧に作られています。階段も土に流れ止めには竹や石を使っています。
その後、訪れたら新しい青竹に取り替えてありました。地元の人がこの橋を非常に大切にされているのが感じられました。


2012年5月21日月曜日

石橋(20)桐の木橋

桐の木橋(きりのきばし) 佐世保市世知原町北川内(佐々川支流北川内川の支流小田川)
架橋:大正15年 橋長:5.7m 橋幅:3.5m


この辺りの石橋としては、もっとも辺りの環境に溶け込み美しい橋と感じます。しかも、道路も舗装されずに、バラスが敷かれた農道です。今では回りの他の道はすべてアスファルトか、コンクリートで固められているので、ここだけが、かたくなに舗装することを拒み、異様な感じを受けそうです。
橋の手前の自然石には表に橋の名前、裏には建設年月、と分かりますが、左側には文字らしいのはあるのですが、今となっては判読できません。お爺さんが、寄贈者として名を刻まれていたのを見た記憶がある、との話を聞いたことがあるのは、おそらくこの橋のことでしょう。
この橋の周り一帯は公園として整備され、英語版の説明がされている看板もあります。付近の最近作られた外国語の看板や、案内板は中国語と韓国人用のハングル文字がほとんどですから、かなり昔に作られたのではないでしょうか。新しいテープが張られたのは、佐世保市に合併した後に修正されたものです。
橋の名前として「きりのき橋」と平仮名表記されているのが気になります。自然石の標柱の正面には「☆木橋」と読めます。☆のところは石が風化して読めませんが、親柱4本には「桐木橋」と表記があり、反対側には平仮名書きと建設年月が読み取れます。建設された当時は、漢字で桐木橋と言われていたはずです。やはり先人の表記に従うべきと思います。
川のそばまで近寄れて、橋の裏側の石組も良く見ることが出来ます。 
観光資源としてはこの石橋は大切な役目を持っていますがお百姓さんと話をしていたら、大変に気を使っておられることが分かりました。
そして、ここらの道幅は以前は1m足らずの狭い道だったというのですから、この橋の幅は3.5mというのは広すぎて不思議に感じていたそうですがなぜそんなに広かったのかは分からないそうです。
一帯が自然に溶け込んだ空間と言う感じがします。すぐ上手には、中倉万次郎翁の家があります。(翁は明治から昭和の初めにかけて、長崎県北では銀行や鉄道を建設し、衆議院の副議長までなった人ですから、明治以降では、もっとも傑出した地元の人だと思います)

2012年5月14日月曜日

石橋(19)いずみ橋

いずみ橋 佐世保市世知原町栗迎(佐々川)
 架橋:昭和4年 橋長:15.5m 橋幅:7.9m写真のように橋の上には、雑草や葛が生い茂っています。車はもちろん、人も通行止めになっていて、痛みがひどいようです。すぐ下流にコンクリートの「泉橋」が架けられてそこを車も人も通っています。それにしても、みすぼらしい姿をしています。文化財として指定されているのですから、せめて雑草くらいはきれいに刈り取り手入れしてもらわないとこの橋は自然と崩れるのではないでしょうか。

2012年5月7日月曜日

石橋(18)山口橋

18.山口橋(やまぐちばし)佐世保市世知原町栗迎(佐々川支流北川内川)
架橋:大正14年 橋長:5.2m 橋幅:1.8m 山口神社のすぐそばに架かっているので、山口橋と言うのでしょう。現在では人通りの少ないところです。標識がなければ道路(小径と言った方が適当か)を歩いても気付かずに通り過ぎるでしょう。狭いところに岩盤を利用して石橋が架けられているので、上から写真を撮るのは困難でしたが、川に降りればよく撮れるかもしれません。