2010年12月27日月曜日

昭和23年度末議事録(4-3月年度へ移行)

 昭和24年1月7日 初集会協議事項案

1.初集会変更の件

 初集会期日は3月20日とし、若し差し支えのときは順延とす

2.部落費増額の件

 1月、2月、3月共各戸30円出金とす

3.時間励行の件

 定時来たれば直ちに開会し各組長は各組の出席の報告をなすこと

4.出不足徴収の件
 労働するときの出不足は徴収する、但し1日分100円、半日は50円として女は男の7分とす。若し特別の場合はその時の話し合いとする

5.農道及び山林道建設の件
 吉富写真屋の下より起工して出来るだけ建設する
 口石区内の町道の修繕を町当局に申し込むこと

6.衛生に関する件
 汚物、硝子其の他危険物処理場設置の件、各人で他人に害せざるように捨てること

7.その他の件
 不幸の場合の差し合わせ米は1ケ年以上の人は20円也、1ケ年未満は10円とす、百日以下は差し合わせなし

8.葬具建造の件は宿題にする

9.消防団補助の件
 昭和23年度10000円とす
 昭和24年度10000円とす



  昭和24年3月20日総会

1.昭和23年度決算報告

 山永朝一氏より議案提出
 公民館の修繕費積立金の件
 4月より月各戸出金30円の内より1円宛を積み立てる事

2.役員改選の件
 代理は会計を兼ね配給もすること
 各組に評議員1名宛を置き組長を兼ねる
 年手当
 嘱託  金1500円
 代理兼会計 金1500円也
 評議員1名に付き500円也 8人4000円

 嘱託投票は予選して最高点数より4名を挙げ候補者として選挙す

 嘱託当選者 横田安之助氏
 次点     山本藤蔵氏

 代理会計 当選者  大浦信一氏
  次点        山本藤蔵氏

 評議員 1組 森田 2組 前川 3組 松田 4組 力竹 5組 藤永 6組 小村 7組 荒木  8組 大浦

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 1月7日に例年通り「初集会」が行われました。これまで一度だけ消防団の出初式のため期日の変更があっても毎年行われてきました。しかし、この日を最後に行われなくなりました。それに代わって、3月末に年度末の総会を行うことになりました。近頃は2月末ですが、それ以来ずっと初集会はなくて、総会がおこなわれるようになりました。
 この年は班長といわずに「組長」と呼んでいます。この組長は評議員も兼務しています。

★ 7組の組長の「荒木」さんは荒木泉さんの事です。この前後長い間組長(班長)をされています。後には部落長や町内会長もされました。 

 上の写真は荒木泉さんのお宅です。炭坑の坑道が家の下を通っていたために地盤工事などで不自由な事もあられましたが、現在は復旧工事も無事に終わっています。

 中二階に上がると、大きな松の木を使った梁がありました。この松材は、平戸街道それも半坂道付近のものを使って建てられたそうです。 

2010年12月20日月曜日

昭和23年の議事録(部落長は嘱託員へ)

  昭和23年1月7日初集会

1 嘱託員挨拶公会堂にて 

2 会計報告部落民一同の承認を受くる

3 部落会費1戸宛5円を10円に承認を受く

4 口石須崎免池田新氏長次分家をする事承認を受く

  同 大浦正雄内の大浦新吉分家する事承認を受く

5 貯水池1坪宛米1升代金を支払事

6 嘱託員以下の役員改選ををする

7 役員一同給料を上ぐる事を承認して左の通りする

8 嘱託員  800円也 
  副配給  800円也 
  会計    300円
  評議員 4名 200円
  隣組長 8名 200円

9 役員改選は部落民一同選挙

   嘱託員  池田 新
   副配給  山本藤蔵
   会計    横田安之助
   評議員  山本吾一 末永稲吉 志方重太郎 大浦信一
右の通り相成り候(戦後なのに候文)

 昭和23年3月30日 ★★

   新嘱託員  池田 新
   旧     森田亀一
   新副嘱託  山本藤蔵
     会計  横田安之助

  右の通り嘱託員を引継を完了したり
   昭和23年3月31日
             森田亀一
 池田新 殿

    7月15日 口石区総会す

1.警察後援会会員設立及び委員選挙

 委員は松尾泰作氏当選す

 山本藤蔵氏池田新区に於て世話する事になる

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★ 嘱託員という言葉が初めて出てきました。現在の町内会長の事です。身分的にいえば今も佐々町の嘱託員に町内会長はなっています。
 そして、この会長と副会長の手当が同額の800円になっています。普通には考えられない事が起こりました。今までは2倍以上の差がありました。ということは現在と同じように町の嘱託員ということで町役場から、嘱託員手当が出るようになったということでしょう。
 最近では副会長兼会計の方が町内会からもらう手当は会長よりは少し多くなっています。理由は会長は役場からもらうので町内からは少なくてよいというこてです。
 町内会の総会の時、その事を知らずに会長手当が副会長より少ないのはおかしいという質問がされたりしています。会長が町役場からもらう手当は佐世保市の町内会長(公民館長という場合もあります)よりは高いものですが、研修に行った福岡県の同規模の町よりは少ない額でした。以前魚釣りが好きな会長さんが、魚釣りの餌代には十分過ぎる金額であると言われていたのを思い出します。
★ 下の写真は新体制になって最初の部落長をされた池田 新さん方の井戸のあたりで今もその当時のままだそうです。井戸には鉄板の蓋がかぶせられていて、右側の祠はお稲荷さんを祭ってあります。

 池田新さんは戦前は村会議員や村の収入役もされたそうですが、戦後は佐々農協の組合長をされその経済的手腕で県下有数の組合にされたことで有名です。晩年に老人の棟梁に家の新築を任せておられて、その時棟梁も交えて3人で少し話した事が思い出されます。

★★ この年から3月末に事務引き継ぎが行われ、年度の区切りが4-3月になった事が確認されます。




2010年12月13日月曜日

昭和22年会計記録(大幅値上げ)

 戦後の混乱期物資不足による値上げのためでしょう。町内会費もぐんぐん上がっています。
★ 1月分から昨年の1円50銭から2倍の3円に上がっています。さらにこの年は前年度の赤字の補てんのために一戸当たり7円を1月に臨時徴収しています。

 5月からはさらに値上がりして1戸当たり月5円に値上がりしています。それも各班長さんが毎月集めて会計さんの所に納めています。あまり文句を言う人もいなかったのでしょうか。しかし班長さんはかなり苦労したらしく、2度にわけたりとか、2か月分をまとめて納めたりとか難儀されています。


 前年度末には赤字になるため、部落長(藤永藤七さん)から1000円借金をしています。その時は千円といえば大金だったでしょう。3月3日に返却されています。

(写真は藤永藤七さん宅の現在のたたずまいです。井戸は昔のままで、屋敷の場所も変わっていないそうですが、ほとんど立て替えられているそうです。それにしても旧家の面影がしのばれます)

 12月の年度末の「計算の時」として「夕食其の他」の名目で1100円の支出があります。場所は会長の森田亀一氏宅です。 役員手当は全員の年間分で2200円ですから、物資が不足して酒代などがかなり高騰していたことがうかがえます。

 男女青年団及び婦人会への補助として各200円計600円も出してあります。

2010年12月6日月曜日

昭和22年の議事録(第1回統一地方選挙)

  昭和22年1月7日  初集会 (公会堂)

     協議事項


1.会計報告一般承認を受く


2.部落会費一世帯月額金1円50銭也を昭和21年度物価騰貴により赤字補填の都合上昭和22年1月分より、金3円宛徴収のことに決定す


3.昭和21年度の赤字補填の為め又は役員慰労金贈呈の都合により臨時徴収をなすことに決定


      左金額


 昭和21年度の赤字 370円78銭


慰労金   部落会長 100円


       副部落会長 70円


       会計     50円


       隣保班長  50円 8名分400円


 合計 合計970円78銭(臨時費)


4.昭和22年度役員給決定左の通り


   部落会長 年額  600円


   副会長兼配給係  300円


   会計          100円


   隣保班長       100円宛


5.部落内に従来居住者にして一時的他出して、念仏講のみに継続料として米5合代を部落中に出米出金等なし居る者は帰住する時は部落民同様に取扱ものなり(入部落費を要せず)


6.鶏は放し飼いをなさざること、もし他人の農作物に害を及す様なことある時は、被害者より手を出されても異議なき様、申合す


7.薪取りに他人の山林に勝手に出入りをなさぬことを申合をなす



    昭和22年3月14日 晩 於公会堂

1.部落会開催 3月中の町常会の諸事項徹底及報告をなす2.上防空壕問題に付き種々協議意見続出し結局後日研究の余地を残し打ち切る

3.之を以て部落会長は部落会の解散を宣す


1.部落会解散の後部落の協議会となり部落代表者、副代表者及町会議員資格審査受けさせる者の選出の件に付き協議す 先ず座長選任一同協議の結果 松田禎一氏を座長とし会務を処理す


2.座長は先ず部落の代表者及副代表者選出方法に付き一般意見を問う種々意見ありしも結局現隣保班長方に於いて適任者4名の選出方を一人せり隣保班長方は慎重に協議し左の4名を選出す


 松田幸四郎 山本藤蔵 森田亀一 志方健一 右の4名を一般投票に附し最高点を代表者次点を副代表者と定め一般投票に付すその結果


 代表者 森田亀一43票 副代表者 山本藤蔵20票 松田幸四郎18票 志方健一9票 右当選決定


3.座長は次に町会議員資格審査を受ける者を如何にして選出するやを計る 種々意見は続出しても決する所各隣保毎に適任者適任者1名宛出し其の内より2名の候補者を一般投票に依て決する様協議申合をなし左の7名を選出一般投票としたり


1班 ナシ 2班 山永朝一15票 3班 藤永源市11票(★★) 4班 尾崎九蔵5票 5班 藤永善七5票 6班 山本藤蔵24票 7班ナシ 8班 池田新21票 横田健雄5票


 右公認とし資格審査を受可者


山本藤蔵氏 池田新氏の両名と決定 

4.部落の機構の改革と共に(役場ヨリ指示ノアル次第)当部落に評議員6名位を設置してはとの意見もあり又隣保班を12班に増班の意見もあり後日研究をして決す可く協議したり

5.志方重太郎氏長女の養子志方栄一氏分家の相談あり部落一同異議なく承認す


        右
  昭和22年4月1日 午後


1.新代表者 森田亀一


  旧部落会長 藤永藤七


  新副代表者 山本藤蔵

  旧副部落長 池田 新


  旧会計    松田幸四郎


右立会の上当部落の事務引継を完了したり

    3月14日


昭和23年嘱託員給料


 嘱託員 600円 


 副配給 300円


 会計   100円

 評議員 4人 100円宛


 隣保組長 8人 100円宛1人前


  計 2200円也


 評議員 藤永三代四郎 山永朝一 藤永善七 大浦正雄

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 長々と議事録が書かれていますが、この昭和22年の4月1日には隣組が廃止になり、4月5日に第1回の統一地方選挙がおこなわれています。そのために戦後の新しい選挙法による選挙のために、口石部落として町会議員候補の推薦をしたのでしょう。


★ 山本藤蔵さんと池田新さんの2名を部落推薦候補に決めたいきさつが詳しく述べられています。この時の選挙結果を調べるために、佐々町の議会事務局に行き議員の名簿を見せてもらいましたが、2人の名前はありませんでした。口石の人は誰もいませんでした。この2人は当選できなかったか、立候補しなかったのか分からないので、こんどは選挙管理委員会に行き尋ねたけど、古い文書は倉庫に保管しているので後日調べて連絡するとのことでした。その後電話で連絡がありましたが、当時の資料がまだ見つからないとのことでした。昭和30年代の水害でなくなったかもしれないとのことでした。

 写真は池田新さんが85歳ごろ新築された家です。現在は孫娘の家族が住んでおられます。

★★ この時部落の投票で4位になった藤永源市さんは町長選挙に立候補して新人5人の激戦を制して、見事に当選されました。部落の投票で2位以内だったら町長選挙に立候補できなかったのではないでしょうか。