2012年6月25日月曜日

石橋(25)鹿町橋

佐々川水系の石橋の紹介は終わりましたが、北松一帯では、今までに紹介した佐々、吉井、世知原の他にも鹿町と小佐々にアーチの石橋がありますので案内します。なぜか江迎には一基も残っているのはありません。


鹿町橋(しかまちばし) 佐世保市鹿町町鹿町(鹿町川)
現在の鹿町橋のすぐそばに記念碑が建てられています。4本の親柱も残されています。



碑文に詳しいきさつが書いてありますので全文紹介します。


       記念碑

昔から川向う西側集落住民は飛石でこの川を渡り雨が降ると飛石が渡られず不便と危険な生活をしていた。耐えかねた住家12戸当時、湯村作太郎氏を中心として話し合いを重ね、村当局の助成を受け、石橋を架けることになり、労力、資金を出し合せ現在の橋の位置に長さ18m、巾3.2mの立派な目鏡橋が完成、集落としては大変な事業であった。集落住民の涙ぐましい協力一致の結晶であり、集落あげて完成を喜んだ。時に昭和2年4月集落の生活は一変して便利な日常生活となった。昭和63年1月鹿町川河川工事のため橋の架け替えとなり近代的な現在の橋となった。橋の取り壊しの折りは集落集まってかゞり火を焚き橋との別れを惜しんだ先祖の功績を賛えるため、記念碑として石橋の両角4本の標柱を残し当時の目鏡橋の面影を偲び名残りを止むものなり

      昭和63年4月 集落民一同

この石橋「鹿町橋」の写真が鹿町の郷土誌にありますので転載します。

ここまで調べてきて気になるのが、橋の呼び方です。正式名称は鹿町川に架かる「鹿町橋」ですから問題はありませんが、通称名が碑文では「目鏡橋」(めがねばしと呼ぶのであれば眼鏡橋と書くのが正しい)と刻まれていて、鹿町町が発行した郷土誌では「太鼓橋」となっている事です。
石のアーチ橋を眼鏡橋と呼んでいるのは長崎や諫早にありますが、いずれも2連アーチですから川の水に写れば眼鏡のように見えるので、納得できます。
長崎の眼鏡橋
長崎の眼鏡橋は江戸時代初期の1634年に中国人によって建造され日本で最も古い石のアーチ橋です。そして橋の名前も「眼鏡橋」ですから石のアーチ橋を眼鏡橋と呼ぶようになったのかもしれません。
そして、鹿町橋は平戸のオランダ橋(正式名称は幸橋)をモデルにして作ったと郷土誌に記されています。尚、石材は少し上流の船石地区から切り出し、炭坑の台車を使って運んだともあります。
平戸のオランダ橋
郷土誌の写真はそっくりの形で、中央が盛り上がっています。この形が災いして取り壊しの運命になったのではないでしょうか。
昭和23年の夏、我々が小学校に入学した年です、台風による水害で鹿町川に架かる他の橋は全て流されてしまったそうです。唯一残ったのがこの太鼓橋だったと、この石橋があったので遠回りしても家に帰り着けたとの話を同年の人から聞きました。
それが、昭和63年には流されても壊れてもいないのに取り壊されて(かがり火で惜しんでは貰いましたが)架けかえられてしまいました。昭和63年といえば、日本が高度経済成長の終盤で、田舎にもモータリゼーションの波が押し寄せて来ていました。道幅は3.2mですから車がすれ違うことはできません。さらにこの盛り上がり橋は敬遠されたのでしょう。平らで広いコンクリートの橋にしようと衆議一決した様子が浮かんできます。
吉井や世知原の橋がいまだに多くのものが残されているのは平らな石橋が多かったからではないでしょうか。もっともダイナマイトで爆破して新しいコンクリートの橋に架け替えられたものもあったそうですが。
最後に現在の鹿町橋の写真を掲載します。


2012年6月18日月曜日

石橋(24)竜の氏橋・小岩橋

竜の氏橋(りゅうのじばし) 佐世保市世知原町上野原(竜の氏川)
架橋:大正15年 橋長:4m 橋幅:3.4m
高観寺橋近くの分岐路の案内標識を登っていくと下の写真の標識があるので、竜の氏橋はすぐ分かります。

最近になって道路の改修工事が行われ、新しいコンクリート橋がすぐ上流に架けられ、車も人も新しいところを通るようになりました。石橋は文化財としてそのままの姿で保存される事になりました。こんな山の中民家も見当たりませんが、佐世保方面へ通じる道路でもあるようです。



小岩橋(こいわばし)
これまで紹介してきた橋は全てアーチ式の石橋ですが、この橋は石を水平に渡した石桁橋と言うそうですが、そのなかでも、この橋は大きな一枚岩をでんと据えた橋で、この種のものを盤石(ばんじゃく)橋と言うそうです。この石の大きさは、長さ2.9m、巾1.35m、厚さ45cmというのですから、立派なものです。


昔からでしょうが、この橋は農作業専用の道でしょう。この大きな石をどうやって運んで来たのかこの川に架けたのかを知りたいものです。架橋は江戸末期から明治の初めごろと推測されています。橋の上にはデンボクといってイノシシ除けの電線が張られていました。今では、人間よりもイノシシがよく通る橋かもしれません。
この項最初の写真を見れば、小岩橋はすぐ分かりそうですが、普通の道を行ってもたどり着きません。あぜ道をかなり歩かなければなりません。私の場合も、3度目にやっとたどり着きました。佐世保市の教育委員会の人が来ていて二人でやっと探したものです。教育委員会が案内標識を建てるので写真を撮りに来ていたのです、あぜ道をどう案内するか楽しみです。



2012年6月11日月曜日

石橋(23)高観寺橋

高観寺橋(こうかんじばし)佐世保市世知原町上野原(佐々川)
架橋:昭和4年 橋長:15.5m 橋幅:4.2m
佐々川水系のアーチ式石橋を紹介してきましたが、佐々川本流の最上流にある石橋がこの橋です。写真の石積みは立派に見えますが、コンクリートパネルみたいなものを張り付けています。現在この橋は車はもちろん、人間も通らせません。痛み方がひどくてそうしているそうですが、コンクリートパネルはあんまりほめたものではありません。
バス停も近くに「高観寺橋」というのがあります。バス道路は新しく作られた「高観寺橋」を通っています。

2012年6月4日月曜日

石橋(22)古山橋

古山橋(ふるやまばし)佐世保市世知原町上野原(佐々川支流上野原川)
架橋:大正13年 橋長:9.7m 橋幅:3.6m
現在の本通りからやや離れた脇道に架けられています。写真ではよく分からないかもしれませんが、一見して赤さび色の橋で、鉄分を多く含む山水が流れていることを印象付けます。

この橋が大正時代にこの大きさの規模で架けられたということは、炭坑があったからでしょう。今では、この辺りは純粋な農村地帯です。