2012年5月21日月曜日

石橋(20)桐の木橋

桐の木橋(きりのきばし) 佐世保市世知原町北川内(佐々川支流北川内川の支流小田川)
架橋:大正15年 橋長:5.7m 橋幅:3.5m


この辺りの石橋としては、もっとも辺りの環境に溶け込み美しい橋と感じます。しかも、道路も舗装されずに、バラスが敷かれた農道です。今では回りの他の道はすべてアスファルトか、コンクリートで固められているので、ここだけが、かたくなに舗装することを拒み、異様な感じを受けそうです。
橋の手前の自然石には表に橋の名前、裏には建設年月、と分かりますが、左側には文字らしいのはあるのですが、今となっては判読できません。お爺さんが、寄贈者として名を刻まれていたのを見た記憶がある、との話を聞いたことがあるのは、おそらくこの橋のことでしょう。
この橋の周り一帯は公園として整備され、英語版の説明がされている看板もあります。付近の最近作られた外国語の看板や、案内板は中国語と韓国人用のハングル文字がほとんどですから、かなり昔に作られたのではないでしょうか。新しいテープが張られたのは、佐世保市に合併した後に修正されたものです。
橋の名前として「きりのき橋」と平仮名表記されているのが気になります。自然石の標柱の正面には「☆木橋」と読めます。☆のところは石が風化して読めませんが、親柱4本には「桐木橋」と表記があり、反対側には平仮名書きと建設年月が読み取れます。建設された当時は、漢字で桐木橋と言われていたはずです。やはり先人の表記に従うべきと思います。
川のそばまで近寄れて、橋の裏側の石組も良く見ることが出来ます。 
観光資源としてはこの石橋は大切な役目を持っていますがお百姓さんと話をしていたら、大変に気を使っておられることが分かりました。
そして、ここらの道幅は以前は1m足らずの狭い道だったというのですから、この橋の幅は3.5mというのは広すぎて不思議に感じていたそうですがなぜそんなに広かったのかは分からないそうです。
一帯が自然に溶け込んだ空間と言う感じがします。すぐ上手には、中倉万次郎翁の家があります。(翁は明治から昭和の初めにかけて、長崎県北では銀行や鉄道を建設し、衆議院の副議長までなった人ですから、明治以降では、もっとも傑出した地元の人だと思います)

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