2011年1月31日月曜日

昭和27年度の議事録(平和之塔建設)

 昭和27年4月28日講和記念調印式終了す

是を記念する為め、金比羅神社へ平和之塔建立及び桜、躑躅(つつじ、桃等の移植を発起す。其の費用を有志の寄附に依る事に協議す。平和之塔は各戸2日間の労力奉仕。舞踊場(舞台のこと)を併せて建設、式場は横田種雄の寄贈に依る。平和之塔落成式を10月10日金比羅祭日に執行す。雨天の為口石小学校を拝借使用し、平和之塔建立除幕式並びに戦病死遺家族を招待し、記念慰安会を催す。

        記

一、部落寄付総額      54900円也

一、記念碑建立費      17205円

一、遺家族招待費      14455円

一、除幕式費         10080円

一、苗木費          11000円

一、雑費             2030円

一、差引不足金         580円

 右除幕式と同時に消防団半鐘の入魂式を行なふ

一、平和の塔に係はる石工は佐世保市岳野免森田保氏起用する

一、平和の塔の筆者は友田一二先生

一、建立に対する延人員約500名余り

当時者は十数日の労力奉仕をし、同時に横田安之助、大浦信一両氏の多大な御協力と御指導を特に記録する


  (昭和28年)3月20日總会

 区費1戸當り20円を30円とす

 消防団の寄附を五千の処他に壱万円増額し、警鐘台建設資金とす

27年度決算承認

28年度予算承認

   役員改選

嘱託    森田亀一     41票

代理会計 松田幸四郎   40票

    右決定す

第1班 志方栄一 第2班 森田與七 第3班 末永勇七 第4班 尾崎九蔵 第5班 松野一郎 第6班 山本森 第7班 友田義衛 第8班 大浦恵雄

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

 平和之塔については、昨年3月、このブログで3回に分けて紹介しましたので、重複する部分も出てきますが議事録をそのまま書きました。
 この頃に戦没者の慰霊碑として部落で「平和之塔」と名付けて建設したものは他の部落では見られません。もっと遅くなってから「忠霊塔」とか「殉国英霊之塔」という呼び名の慰霊碑が全国的に建てられているようです。佐々町内でも主だった部落にはそれぞれ建てられています。佐々町のものは三柱神社に大きいものがあります。
   口石でも昭和35年になって、正福寺境内に建てられています。金比羅さんでは山の上まで登って行ってお参りするのに不便なのでお寺に建てたといわれています。  
 金比羅さんの頂上の戦没者は31柱で、お寺にある分では33柱あります。また、佐々町が行っている慰霊祭の時は違った数になっています。町内会では出入りがあるのですから遺族の数に違いがあるのは当然なことでしょう。
 それにしても、当時120戸ほどの部落で30人以上が戦死しているのですから、大変だったことが良く分かります。



2011年1月24日月曜日

昭和26年度の議事録(役員改選だけの総会)

 昭和27年3月21日 惣会

昭和26年度決算報告

一.決算報告一同承認

一.27年度予算前年度同

一.役員改選

一.嘱託 松尾泰作氏

  代理・会計 大浦正雄氏

一.嘱託以下役員給壱万円とする

班長 第一班 志方栄一 第二班 藤永新 第三班 末永稲吉 第四班 吉富尚任 第五班 藤永善七 第六班 末永四郎(文代さんの父)★ 第七班 荒木泉 第八班 荒木精一

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 
★ 下の写真は、口石街道端(通称キャードバタ)にある末永商店。道路は国道204号線です。末永四郎さんの娘さんが現在営業されている日用雑貨店、佐々町内でも数少ない小売商店たぶん店主では最も若い人でしょう。赤いポストがあるのは、文代さんの婿さんは以前佐々郵便局に勤務していましたからでしょうか。

2011年1月17日月曜日

昭和25年度の議事録(戦後の落ち着きが出てきました)

 昭和26年3月 総会

   決算報告 承認

一、総予算前年と同じ

一、役員改選

    嘱託再、代理 大浦正雄

 1組 松尾氏 2 藤永新 3 松永役太郎 4 藤永半兵衛 5 藤永弘 6 永安三七7 荒木泉 8 荒木精一

一、協議決定事項

 1.下足箱新設

 2.便所増設、世話人一任 ★★

 3.道路修繕の件
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★ この年の5班の班長、藤永弘さんはその後、佐々の町で魚屋をはじめられ、現在佐々駅前の中心街ですし店「すし幸」を経営されています。(下の写真)
 
★★ この時作られたものと思われる便所は、昭和56年に取り壊されるまでありました。当時は、下駄をはいて公民館の外に出ていかなければ用をたす事ができませんでした。汲み取り式でかなり臭いもきつかったのを思い出します。



 

2011年1月10日月曜日

昭和24年度の議事録(年度末総会)

  昭和25年3月20日 総会

一、決算報告 一同承認

一、予算 部落費 一戸20円とする

一、消防 5千円

一、男女青年及び婦人会2千円

一、役員改選

 嘱託及び代理再選決定

一、評議員 1組 森田喜一 2組 山永 3組 松田幸四郎 4組 力竹 5組 藤永善七(藤永繁さんの祖父) 6組 永安三七 7組 荒木荒太 8組 大浦正雄

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 この年から年度末に総会を行う現在と同じ方式になりました。班長は評議員も兼務しています。したがって現在のように家まわりに順番に班長をする事はなく、有力者が何年もしたり、2~3人で交代してやっていました。  この写真は5班班長の藤永善七さん宅ですが、現在は不動産業をされているお孫さんが住んでおられます。家は新築で昔の面影は全くないそうですが、写真の左側には井戸が昔のままに残っています。

 藤永善七さんは口石で最初に自動車の免許を取り、自動車も買ってハイヤーの営業をされていたそうです。その後バイクや三輪車なども出回るようになりますが、口石でのモータリゼーションの魁をされた方です。

2011年1月3日月曜日

昭和23年度の会計記録(会費の値上げは続く)

 年度替わりのためこの項は15カ月分になります。
★ 前年に月額1.5円→3円→5円と部落費は値上がりしました。
 この年は5円(1月~3月)から10円(4月~12月)そして30円(1月~3月)と1年間で6倍に跳ね上がっています。班長さんは集金が大変だったようで、遅れたり、ふた月、三月とまとめたりした分もあります。
 支出の主な分は4月と9月の金比羅さんのお祭り、7月の村祈祷、12月の妙見祭りは例年通り行われています。
 役員会の時の飲み食い、役員報酬、消防・青年団・婦人会への補助金も例年通り出されています。
 珍しいのでは公民館の敷地の税金を10月に30円20銭払っています。現在では佐々町に寄付したので全く払うことはありませんが、一昨年までは減免申請を出して税金は払っていませんでした。
 公民館電燈料の支払いは8円(1~6月)、28.5円(7月)、24円(8月)、86円(9~11月)、27円(12~2月)、24円(3月)となっています。7月から大幅値上げがあって多少の変動があります。現在も外灯代の支払いでは月によって変動があり良く分かりませんが終戦直後からそうだったのですね。
 5月6日に宮本新三郎宅御香典100円とあり、新三郎さんの長男、村一さんの戦死に香典が出されています。下の写真は現在の宮本家のお宅です。村一さんの長女御夫婦以下3世代の方がお住まいです。
 下の写真は宮本家の天井板(一部分)です。古い松板で、佐世保の中里公民館を新築する時に貰って来た材料で、街道松だそうです。江戸時代に平戸街道にあったものと思われます。数百年は経っているでしょうが立派なものです。