2010年10月25日月曜日

昭和19年の議事録(部落会長兼警防分団長、友田校長)

 昭和19年1月7日 初集会をなす
      協議事項
1.計算報告をなす一般承認を得

1.部落会長代理は兼会計及配給係をなさしむ
  年手当160円と定む

1.隣保班長は8名と定め1名に付き手当30円定む

1.部落会長、副会長、班長の任期は1ケ年とし再選することを得

1.部落会長及び副代理の候補者を定むるには町会議員、各隣保班長より3名宛集合の上推薦亦選挙をなして以を定む

1.各班長は各班共に班内にて推薦亦は選挙をなして以て定む

1.右之結果

   部落会長  横田健雄
    代理    森田亀一
     各班長
  第一  藤永勘七
  第二  山永正雄
  第三  松田喜一
  第四  吉富尚任
  第五  清原哲雄★★
  第六  山本藤蔵
  第七  友田一二★★★
  第八  大浦信一
    右当選す
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★ 横田健雄さんはこの年部落会長に選出されましたが、昭和18年には佐々町警防団第5分団の分団長になられています。現在でいえば町内会長と消防団の分団長を兼務されていたことになります。若い男は戦争に駆り出されて部落にはほとんど残っていなかったからでしょう。

★★ 清原哲雄さんは真宗のお寺「正福寺」(下の写真)の住職をされていました。この年5班の班長になられましたが、昭和17年には警防団の分団長もされています。軍隊にも行かれたこともあるそうですから、当時の人は一人で何役も務められたのですね。


★★★ 友田一二さんは大正年間に口石で鍛冶屋をしながら役員にもなられた友田樫太郎さんの二男で、小学校の先生になられ口石小学校の校長までなられました。口石小学校の校長室には歴代の校長先生の写真が掲げられています。下の写真がそれです。



2010年10月18日月曜日

昭和18年の会計記録(下)配給係判明

 この年の収入としては区民127名の部落費は月額70銭で毎月集金しています。年間8円40銭になります。寄留人は3名だけで半額の年間4円20銭を12月に一括して納めています。その他は出不足金が120円ばかりと消防用の貯水池を作る時町役場から砂、バラス代として115円、財産組合からの補助金50円などです。収入合計は1350円ばかりです。

 支出は12月20日の役員報酬が主なもので、
   部落会長給 永石浅吉 300円
   代理会計給 森田亀一 100円
   配給世話給 山永朝一  60円
 議事録では分からなかった配給係の名前が分かりました。明治4年に讃岐の金比羅さん参りに出かけた3人のうちのひとり山永幸吉さんの孫に当たられる朝一さんでした。下写真の家は大工さんだった山永朝一さんが自分で建てられた自宅です。屋根の瓦はその後取り換えられましたが、家そのものは当時のままのものだそうです。
   班長   25円 8名分 200円
 他には 在郷軍人補助金  19円
       青年会補助金   10円
       婦人会補助金   12円

 7月5日 常会の時役場員 ビール2本代 1円80銭とあるので、この頃のビール代は1本90銭ということになります。
 酒1升の値段は7月は3円50銭、9月3円25銭、10月5円と値上がりしています。

 9月には伝染病が流行して3度消毒をしています。ところがこの時の支出内容が焼酎5合、2合、3合とその金額が書いてあります。消毒をした人に焼酎をふるまったのかとも思ったけどお年寄りに聞いたら、その頃消毒薬などなかったのだから焼酎で消毒したのだろうという話でした。 10月13日には清潔検査(どんな事をしたのでしょうか)があっています。酒1升を支出しています。伝染病も一段落したのでしょう。検査に来た役人に酒をふるまったのではないでしょうか。

★ この年4個目の防火用水池が作られました。最近になって作られたものもあり、現在口石には10か所の防火水槽が整備されています、1ケ所の水量は40トンです。以前はコンクリート水槽の周りを金網で囲っていました。この中で金魚を飼っている人もいました。上中講の防火用水池は道路拡張工事のため別の場所に移転しましたが、上講と下講のものは池にコンクリートの蓋がされましたがそのままの場所にあります。年末にはそれぞれの地権者に1坪あたり1円の代金が支払われています。
       (上講12坪の防火水槽)

   (下講9坪の防火水槽、横は現消防分団長の家)
     

2010年10月11日月曜日

昭和18年の会計記録(上)区割取立帳

 今年3月、 口石の公民館建設が完成して引っ越し作業をした時、それぞれの所へ品物を運び入れて、一段落した時古い風呂敷に包まれた木の箱がなぜか1個だけポツンと取り残されていました。その中から大正2年1月起こしの金銭出納帳が出てきた事はすでに述べました。これは昭和8年までの記録で終わっています。

 上写真の帳面も気付きはしたものの「区割取り立帳」2~3枚めくったけど町内会費の集金帳と思いそれ以上は吟味しませんでした。最近になって読んでみたら、昭和18年から昭和32年までの金銭出納帳があり、いわゆる戦時中(大東亜戦争)のことが分かる内容もあり資料として価値あるものと思うようになりました。これからは議事録とこの金銭出納帳の具体的な支出の内容を照らし合わせながら記述していく事にします。


 
 表紙をめくったら口石部落……明治初期は(ふれ)、その後(く)と呼び戦時中に部落(ぶらく)となり、昭和50年代になり町内会と呼ぶようになりました。……127戸の名前が班長を先頭に書き並べてあります。今生存されている人は皆無です。昭和50年に移り住んだ私がお会いした方は10名ほどです。

 昭和18年1月30日、1月の127戸分の区費88円90銭(1戸70銭)で始まっています。本来なら、1万円以上の繰越金があるはずなのですが、この年1月7日の初講で1戸当たり100円宛払い戻して、残金を財産組合を作りここへ移して、部落の会計とは切り離しています。これまで行っていた金貸し業務もやめてしまったようです。
 この記録で不思議な事があります。口石の班は最近になって新しく宅地造成されて3班増えました。それまではずっと8班のはずなのに、昭和17年、18年に12班あります。議事録では18年の8人の班長は評議員を兼務するとなっています。したがって年間の班長手当は25円です。12人いる班長は何だったのでしょうか。1名だけ両方の班長をしている人がいます。全体として8人の班長は年長者が多いようで、12人の班長は比較的若い人みたいです。戦時中の向こう三軒両隣と関係があるのでしょうか。議事録にある「防空郡」と関係があったのでしょうか。長老の方に尋ねましたが分かりませんでした。

 ネットで調べてみたら分かってきました。この記録帳の表紙に「隣保班長月末集金」とあるので隣保班を調べたら戦時中にあった組織で部落、町内会の下部組織で10戸ぐらいで編成されていたようです。隣組の組織で助け合ったり防空防火にあたり時にはお互いの監視もしたりしていたそうです。ですから今までの班とは別に口石でも作られていたのです。戦後はなくなったのですが、現在でも「リンポハン」と言う人もいます。

 





2010年10月4日月曜日

昭和18年の議事録(防火水池、区有金払い戻し)

 昭和18年1月7日 初集会をなす

      協議事項

1.計算報告 承認を得

1.金比羅神社の石燈を修繕をなす事 

1.右同し参道役員立会の上予算を立てたる上総会にかける事

1.龍界の道も右に同じく

   右2口は役員立会の上なす事

1.区の出不足は一日2円と定む

     女は7合となす

1.評議員を8名となし評議員兼隣保班長任務をなさしむる事を定む

  隣保班長総改選をなす左之通当選す

 第一班   森田喜一    46点

      副 森田祖助     9点

 第二班   藤永三代四郎 31点

      副 山永正雄    26点

 第三班   松田喜一    27点

      副 森田吉三郎   26点

 第四班   藤永半兵衛   24点

      副 佐伯寅市    24点

 第五班   山下茂夫    39点

      副 清原哲雄    18点

 第六班   志方重太郎   24点

      副 山本藤蔵    24点

 第七班   真藤八郎    27点

      副 荒木精一    24点

 第八班   大浦正雄    29点

      副 横田種夫    20点

1.義務修繕には寄留者と言え共全部出働を受ける事

但し区民□し公務員に限り出働しあたわざる者出不足として年に金3円を徴収す

1.警防団に補助金として金100円を補給す但し18年度より支給をなす事

1.警戒の際非常の場合以外、区全般勤務に付く事

1.家庭防空郡用バケツ代金区より支給する事を定む

1.下中講に貯水用を構築する事 

    但し構築人夫は其の講にてなす事

1.家庭防空郡長は男子選任する事を定む

1.区有金を1戸当たり金100円宛分配する事を定む 但し17年度満一ケ年内に区入りなしたる者に区入り金丈ケ分配をなし亦17年度内に区を別れたる者には半額を分配する事を定む ★★

1.残り区有金を財産組合を作りて分離する事を定
1.組合の方に組合長1名、会計1名、理事2名置く事を定む
1.一ケ年に各役員の手当を定む
1.組合長、会計各10円宛
1.理事 各5円宛支給する事を定む
1.選定の結果左の通り議決す
  組合長    力竹増太郎
  会計     池田 新
  理事     志方重太郎
  理事     横田安之助
1.財産組合の金より区の費用に年に50円丈け寄附する事を定む
1.区費は毎月一戸当たり金70銭宛徴収する事を定む
右18年1月7日の初集会の協議事項なり

  1月20日区集会協議事項
1.大平口の雑木を売るに決定す 但し1月22日入札なさしむる事定む
 右売買高 一金141円50銭也
内訳 1号30円 2号61円50銭 3号50円也

   4月8日評議員会を開き協議事項

1.小川益一氏義務修繕の出働を官公吏員と見なし出働せぬ用相談有りし故之に応ず

1.出征亦入隊の時餞別を持て言に上り時区の人には一切酒肴を出さざる事亦受けざる事と定む

1.義務修繕に出働せざる者左の通り

    小川益一

    清原哲雄

    友田 新

    友田一三(一二の間違いでしょう)


   7月2日評議員会を開く

1.一般徴用者に対し区と親は祈願祭のみ其の都度なし餞別は廃止する事

1.隣保班内の離別を発□餞別改てなす事

1.見送りも区一般の見送りを廃止 隣保班内にてなす事 但し部落会長は代任にて見送りなす事

  右評議員会に議決す


    12月20日評議員会にて決定事項

1.区民にて他に出働をなしたる者に対して区割りは半額と定む4円20銭となす

       右協議決定す

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前回は昭和16年の議事録を取り上げました。本来であれば今回は昭和17年の分の紹介をするところですが、この年だけは全く記録がありません。紛失してもいません。16年の最終行からそのページ内で2行開けて、18年の記録が始まっています。16年にはいろんなごたごたもありました。ノートの引き継ぎがうまくいかなかったのではないでしょうか。謎の一年という事です。

★ 下中講の人たちが作った防火用水池の現在の写真です。

 今は、写真のようにコンクリートで覆われて貯水槽になっていますが、少し前まではため池になっていて金網で囲われていました。昭和18年に作られたものに違いありません。土地は、横田安之助さんが2坪、山口市三さんが7坪7.5合提供されています。この頃の土地借地代金は1坪あたり1円で年末に部落の会計から支払われています。 これで、口石の念仏講4講にそれぞれ1つづつ貯水池を持つこととなりました。

★★ この年区有金を1戸当たり100円払い戻しています。区の金を年利1割前後で区民に貸し付けていました。永年の間に相当な金額になっていました。当時125戸前後ありましたから1万円以上の大金です。理由が書いてないのでなぜそんな事をしたのか分かりませんが、その後は部落(この戦時中は区の事を「部落」と呼んでいます)で、金貸し業務をやっていないようですから、トラブルがあって金貸しをやめたのか、お上からのお達しでやめたのかは分かりません。

 区有金の分配は1月11日に行われています。その時警察官が立ち会っています。そして昼飯とラムネを出しています。その金額が17円となっています。酒を出すわけにはいかなかったからでしょう。このように、この頃の詳しい会計帳簿が見つかりましたので、次回から具体的なことを書くことにします。