昭和16年1月11日(初集会)
協議事項
1.藤永新平氏次男十三郎氏分家村入の相談承認を受く
1.金比羅様の枯松のため其の代りとして楠を各隣保班にて一本宛二月末日迄に植える事に決定
1.触役増員並に増俸をとの意見有之も今迄の様に保留す
1.区有金壱万円を維持する為区費の徴達法の研究を望するも良き案もないため保留
1.警防団の出初式が七日に有るため期定日の七日を延期す★
役員改選
評議員 松田幸四郎氏(退)
評議員 大浦 信市氏(退)
新任評議員 森田亀一氏 28点
々 永石浅吉氏 25点
次点 末永勇七氏 22点
々 荒木精一氏 15点
右の通り一般の承認を受く
区長並に区長代理改選の結果
横田安之助 区長
大浦信市 区長代理に当選したるも事由により承認なきため今迄通り区長並に区長代理も本年度(一年)と相談に相成るため区の円満のため区長並に代理も承認す
7月13日 於 公会堂
決議事項
1.議長 力竹増太郎氏★★
1.区長並に代理の辞任届を承認す
1.役員の総て再選を防けず
1.区長並に区長代理当選者は相当の理由あるとも総会に於て其の理由を認めざる限り異議申立(承認)をなすべからざる事
1.各給料を左記の通り改正す★★★
1.区長給 300円(改正前60円+10円)
2.代理給 100円(25円)
3.配給係 60円
4.評議員 20円(8円)
6.触役給 10円(4円)
1.区長並に代理改選の結果左記の通り
1.区長 永石浅吉 32票
次点 森田亀一 10票
2.代理 森田亀一 15票
次点 横田安之助14票
3.評議員 退職者 永石浅吉
〃 森田亀一
当選者 末永勇七
〃 大浦正雄
1.各隣保班長は7月分より12月迄は各戸(寄留人を含む)金壱円也を徴収の事
1.隣保班長は一戸10銭宛を毎月給料日として徴収する事を得
8月27日
評議員隣保班長集会協議事項
1.区民の出不足一日に金2円と定む
1.女は其の八掛と定む
1.寄留人に対して道路受護之為村道県道修繕の時は出動を相談する事 但し出不足取らざる事
右決議す
9月27日
1.区の差合は若し一人以上死去して葬式を一緒にする共差合を員数に対し出す事を評議員会に於て決議す★★★★
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★大正年間からずっと1月7日に初集会をするのが口石の習わしでした。この年は警防団の出初式が1月7日に行われたために、集会は1月11日に延期して行われました、この年は何か波乱含みの予感がします。
警防団は戦後は消防団となったので、口石の分団長は三代でおしまいです。初代の分団長の時昭和14年に作られたであろう団旗には「佐々村」とあります。佐々町となったのは昭和16年です。初代と3代は議事録に登場してきますが、2代は正福寺の住職をされた人です。
現在の消防分団詰所と消防自動車の倉庫(上写真)は当時の場所から移転新築されています。
★★ 1月の初集会で、選挙により選出された区長、区長代理は辞退したため、前年の人が再度区長・代理を行う事でおさまっていましたが、7月になって2人から辞任届が出たため、臨時総会が開かれました。
その時の議長が力竹増太郎さん(下写真は自宅と医院)。大物を議長に据えて難局を打開しようとしたようです。力竹増太郎さんは隣部落小浦の生まれですが、今の熊本大学の医学部を卒業されて、明治42年に口石で開業されています。
下写真は現在の力竹医院で、3代目の輝彦先生が診察をされています。左側が入院病棟になっています。5年前の冬、風邪をこじらせた私は、2泊3日の入院で完全に回復した事がありました。
★★★臨時総会は順調に進んだ模様で、役員の成り手がいない事や、当時はインフレもひどかったのではないでしょうか、大幅な役員報酬の値上げが決定されています。その中で「配給係」が新設されて、評議員の3倍の手当で、区長、代理に次ぐNO.3の座を占めています。酒の配給などもあり、大事な役回りだったようですが、誰がなったのかわからないのが残念です。
★★★★「差合」というのは念仏講の「差し合わせ」のことで、現在の香典と同じものです。昭和50年代に私が加入した時300円でした。あまり実情に合っていなかったので、これとは別に香典を出す習わしになっていました。現在念仏講自体は残っていますが、「差し合わせ」は集めることはありません。
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