2011年7月18日月曜日

口石の溜池(1)平田溜池

 口石は稲作の農村集落ですから、古くから溜池や水路は多くよく整備されていました。最近では構造改善事業により水路も立派なものが出来上がりました。そのせいで使われなくなった溜池や水が全く溜まっていないものも見受けられるようになりました。
 前回、耕地整理の堤を取り上げたので、今回から数回に分けて溜池(地元では堤と呼ぶことが多い)について書いていきます。写真を撮るときになってしまったと思いました。この夏場では背の高い雑草に覆われて近づけないところもあります。溜池を利用しなくなった証拠です。場合によっては冬場に写真を撮り直して差し替えることも考えています。
 最初の写真は「平田溜池」です。普通ヒラタノツツミと呼んでいますが、地図で平田溜池となっているのでそう書くことにしました。口石ではもちろんですが、佐々町でも最も大きな溜池と言えるでしょう。しかし、最近では水深が浅くなり、数年前に浚渫工事がされましたが、貯水量が最も多いとはいえないかもしれません。今では夏場になっても泳ぐ人はいません、水面いっぱいに水草が茂っていてとても入れません。プールがなかった頃には子供たちの立派なプールだったようです。  この池を見降ろす高台に新しく住宅団地が作られましたが、日当たりが良く、人気が高くすぐに全戸新築され、若い世代の人たちが移り住んできました。この池では魚釣りが盛んに行われていました。釣り好きな老人がヘラブナを放流してしばらくしてから見事なヘラブナが釣れるようになりました。その老人はのんびり座りヘラブナを釣っても、ひと眺めしたらリリースしていました。その後平田の池ではブラックバスが釣れるとの情報が知れ渡り、大勢の釣り人がやってくるようになりました。近くの小中学生は自転車で、大人は自動車で、中にはボートを積んできて舟から釣る人もいました。その騒ぎで農家の人は迷惑して「堤体保護のため釣り禁止」の看板を建てたりしました。それも長くは続きませんでした。水草の繁殖が人間の争いをやめさせました。  この池にこんもりとした丸い山が二つ写っています。これを女王卑弥呼の墓と考えてみたい思ったりしました。邪馬台国論争が盛んに行われていた頃、九州説をとる人の中にも長崎県では島原説、彼杵説さらに相浦説を唱える人がいます。ならば「口石説」をとるならばここが面白いと思ったからです。 この池には「平田第二溜池」があります。使わなくなって何年にもなるらしく深い草丈に阻まれてこれ以上は近づくことはできませんでした。

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