鹿町橋と同じように石橋は取り壊されて、コンクリートの橋に架けかえられています。しかも、文化財として指定されていたものを、わざわざ指定解除までして取り壊し新しく橋を架けているのが不思議です。昔の橋の写真をまず。
ほぼ同じところに護岸工事はされているけども同じように架けられています。幅は狭くて自動車はすれ違うことはできません。平成14年に竣工したと記されています。文化財を解除したのが平成12年ですから、2年ほどはもめたのかもしれませんね。現在の大加勢橋はなぜかもう一つすぐ横に大加勢川に斜めに架かっています。
こちらが県道の大加勢橋です。ほとんどの車はこちらを通り昔の石橋のところの大加勢橋は通りません。バス通りもこちらで、消えかかっていますが、中央線もあります。こう考えてくれば、なぜ石のアーチ橋を文化財を指定解除までして取り壊したのか分かりません。しかも、高度経済成長のさなかならいざ知らず、平成12年を過ぎてからですから、不思議でなりません。建設会社の利益のためだったのかも知れませんね。ここで古い写真をもう一枚
昭和30年代の写真です。この欄干が見える橋がバス通りの大加勢橋の昔のものです。右奥の2階建ての建物は西肥バス大加勢営業所といっていました。下はバスの車庫で2階はバスの車掌さん(全員若い女性)の宿舎でした。左側のしゃれた建物は映画館です。当時は最大の娯楽施設でしょう。「加勢会館」と読めます。私も高校1年の時、一度だけここに映画を見に行った事があります。加勢会館は同級生、静川祐司君のお父さんが経営していたので、只で見に行くことが出来ました。この写真を見ても雨上がりの水たまりの道を、続々と詰めかけているのが分かります。現在の写真を次に示します。
石橋の大加勢橋を取り壊した石は鹿町町の体育館の裏に番号を打って置かれていました。適当なところがあれば橋をかけ直そうとの考えもあったそうですが、平成19年になって行き先が決まりました。鹿町町の船の村にある遠海山・潮音院というお寺の側壁を飾る事になりました。すぐ近くに海と九十九島国立公園が見える風光明媚なところです。遠海山というよりは近海山といった方がふさわしいようなお寺です。
安住の地を見つけたのでしょうか、橋というよりは、モニュメントといった方がよさそうです。台形の石が互い違いにはめ込まれています。
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