2010年4月12日月曜日

議事録4(大正11年)公民館を小学校の校舎として

 上写真の右側は筆書きの大正10年のものですが、左ページの大正11年の分はペン書きです。和紙に書いてあるのでペン先の走り具合が悪かったのでしょう、判読しにくい文字が筆書きよりも多く見受けられました。


 もっとも、当時はペン書きは珍しくて貴重なものかもしれません。当時のインクはブルーブラックのはずです、真黒に見えるのは時間がたって変色したものでしょう。原文を書き写します。



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 大正拾壱年度

   一月七日初集会ニ於テ協議決定事項

一、公会堂(部落の公民館のこと)校舎貸賃、年三拾六円ノ処ヲ本年ヨリ四拾八円ニ賃上ノ事

二、野坂地料代モ初集会ニ報告ヲナス事

三、触役給料ハ一人前壱円宛ノ事

四、区長改選ニ付、 新区長 荒木利三郎(泉さんの義父)

             協議員 藤永東七(勝之さんの父) 

                  池田藤三郎(新さんの父)

                  友田樫太郎(一二さんの父)     

                  森田祖助(博介さんの義父)

   区長代理ハ以前通リ  横田十三郎(隆亮さんの祖父)

五、松野三代作病気ノタメ区ノ出務ヲ免除ノ事

六、須崎里道ヲ四ツ井樋海岸マデ開通ノ協議ニ依リ四ツ井樋方面部落ヘ交渉委員定ム

    藤永東七 真藤猶七 池田藤三郎 志方兼吉(伝さんの祖父) 池田勇平(池田本家その後転出) 森田源八 荒木利三郎

    大正十一年三月五日  於テ野坂

一、三月五日部落有林野統一地界境付テノ際野坂ニ於 区中協議左ノ通リ

一、処分地ニ付テノ方法

  処分地口石区役員四名ノ名義ニ処分地全部ナスベキ事

二、野焼ハ区中ヲ二分シ隔年ニ上下交互

   但各人桶一コ(?)宛持来ノ事

   持来無者ハ二十銭ノ不足金集ル事

   本日出不足ハ壱円五十銭宛定ム

右定ム        初焼ハ上部ヨリ初ム


     三月二十日 協議員会於テ

郡ノ山林会ニ、毎年壱円宛、藤永東七ノ名義ニテ区ヨリ加入シ置ク事

     大正拾壱年七月九日 村祈祷総会ノ件

一、田植賃金 男壱円十銭 女八十五銭ニ定マル

一、草場ゴーシギ玄米壱斗六升

        落札人 藤永久米治

一、古品水突 売立代金拾円也

        落札者 真藤峯太郎

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 この年は1月7日初集会、3月5日野坂(山の中)の現地での会合、3月20日協議員会、7月9日村祈祷集会と4回に渡る各種の会合の内容が記録されています。筆跡は同じものです。特に気付いたことを述べてみます。

① 部落の公民館(当時は公会堂と呼んでいた)を小学校の校舎として貸していたことは、ずいぶん長く続いていたようで、部落の収入になっていたようです。

② 触れ役(今の班長)の給料が年間1円とあります。田植えの労賃1日分男よりは安く、女よりは高くなっています。

③ 区長以下、区長代理と協議員上(カミ)地区2名、下(シモ)地区2名、合わせてこの6名が村役というか「肝入りどん達」ということでしょう。集落を取り仕切っていたのでしょうね。全部の役員名が初めてはっきりしました。そして、6人の子孫は皆さん町内で活躍されています。

④ 現在の町道赤崎線を作るための隣部落との交渉委員がこの時決まり、準備に入ったようです。今ではよく使われている道(車の離合には狭い)ですが、全通したのはかなり後になってからのようです。

⑤ 野焼きの出不足金はかなりの高額ですから、全員参加で行われたのでしょうね。

⑥ 古品水突売り立て代金10円:落札者 真藤何某とあるけど、「水突」とは消防で使っていた手押しポンプのことではないでしょうか。真藤さんの子孫の方は石切りをして砥石屋をされていましたので何か関係ありそうです。それにしても中古のポンプが10円もしたとは高いような気がします。

 

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