2010年4月19日月曜日

議事録5(大正12年)炭坑のトロッコ線路工事

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大正拾弐年一月七日 初集会 於テ

一、協議員 改選結果
      上講 志方重太郎氏(重広さんの父)
      下講 横田奥次郎氏(昭さんの祖父) 
  右通リ選挙ス
二、入営兵ノ青年見送リハ中里駅迄ノ事トス
三、芝居興行者ハ一日拾円宛区内金ニ出ス事ヲ決議ス

一、大正拾二年一月七日 集会ノ時キ山永関蔵(鉄舟さんの父)分家区仲間入之相談アリ

一、大正十二年四月五日 触集会ニテ決議スル事左ノ如シ
一、木場炭坑軌道作リ元藤永忠三氏ノ下(現在の金子圭一さん宅のあたり)ヲ敷地ハ村ヨリ買上、人夫ヲ木場区十名、口石区十名ニテ作ル事ニ協定ス
二、仝炭坑ノ軌道ヲ利用シ敷地ハ炭坑ヨリ買上、人夫ノミヲ小浦区ヨリ全部一日芳ノ浦道 口石区ヨリ藤永忠三氏ノ下道路ニ出シ残リ全部一日ノ出務ヲスル事ニ決定ス(意味がよくわからない)

一、大正十二年四月十日 触集会ノ件
小野政太郎 新ニ区ノ仲間入之相談アリ承諾ヲナス
触入金前年協定之通リ
金五拾円ヲ当時の会計横田安之助氏ニ渡ス
二、当区ニ保安組合ヲ置ク事ニ協定シ
 会長一、副会長一、協議員六名改選ス
 会長 当選者 藤永半兵衛(知幸さんの父)
 副会長 〃   荒木利三郎
 協議員 〃   横田十三郎
   〃      藤永 藤七
   〃      池田 勇平
   〃      志方 重太郎
   〃      友田樫太郎
   〃      横田安之助
  会員ハ区全部
三、木場炭坑ヨリ酒壱斗
  保安組合初会ニ出シタルモノナリ
四、消防小屋ノ戸口ヲ壱間戸口ニナス事ニ決定ス

  十二年七月一日
     村祈祷集会
一、田植賃金ノ件
一、本年ハ昨年通リ男壱円十銭 女八十五銭
一、草場 合志木 玄米壱斗八升ニ落札
          藤永善七(繁さんの義父)
一、大正十二年七月一日集会ノ時キ
  川内野八太郎 寄留ノ相談ヲナス
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★ 入営兵の見送りを中里駅までと決められたのは何のためでしょうか。その当時汽車(軽便鉄道)は相浦から上佐世保(現在の俵町)まで大正10年に開通していました。したがって口石からは一番近い駅が中里駅(現在の上本山公民館のところ)でした。



★ 口石には芝居小屋が正福寺の下付近にあったそうです。それにしても興行主から1日10円も部落に納めさせていたのはすごいですね。木戸銭はせいぜい5銭とか10銭程度でしょうから、お客さんはよく入っていたのでしょうね。

★ 木場炭坑の軌道(トロッコ線路のことでしょう)作りのことが書かれていますが、この炭坑については遺跡が残っていますので、次回に写真を添えて詳しく書くことにします。

★ 保安組合という組織が口石部落に作られたことが気になります。役員はそうそうたる村役どん達が顔をそろえています。大正14年にあの悪名高い「治安維持法」が制定されて、戦争へと突き進むことになっていったことと何か関係ありそうな気がします。今後調べてみます。それにしても保安組合の最初の寄りに木場炭坑から酒を1斗もらって、役員8人で飲んだのでしょうか。それとも当時80~90戸の集落ですから、男全員で飲んだのでしょうか。

★ 最後に「寄留」という文字が見えます。私が35年ほど前口石に家を建てて移り住んだ時、「キリュウジン」という言葉を聞いた時には、奇異に感じました。家内は自分たち新入りのことを言われていると思っていましたが、借家住まいの人を指していました。当時から家を構えて移り住む人には、口石は馴染みやすいところだと感じました。          

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