2010年6月7日月曜日

昭和2年の議事録から(倉庫建設)

 昭和2年5月15日 落成
   区用倉庫建設
一、金315円也  大工手間請負増工事共
一、金103円   敷地20坪6合(横田)安之助氏より購入代
一、金 19円   敷地石 石工手間迄
一、金 17円   コンリトー(原文のまま) 砂利代
一、金  5円     仝   砂代
一、金 10円   棟上げの時大工祝儀出し
一、金 10円80銭  棟上げの時の酒肴代
一、金  6円   セメント一樽代
一、金  6円   日役人夫6人役
一、金  5円   レール1本代
一、金  4円54銭  真藤鍛冶出□1字不明)
一、金  4円   棟上投穂代
一、金  3円30銭  錠カギ一丁代
一、金 10円   雑費消耗品代
 計金518円64銭也
其の他人夫は実行委員3日宛出夫の上落成す
            以上
昭和2年度置ける事業
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 この年は橋の架け替え工事、倉庫の新築工事それぞれの落成式、祝賀会、さらにはその資金集めと、役員さんたちは大変だったのでしょう。5月15日以降の記録は議事録にはありません。会計帳簿にはありますが。
 
 この倉庫の建設は、もちろん必要があったからでしょうが、森木橋の架け替えをして佐々村からの2/3補助や、村山が思ったよりも高額で売れたことなどで、金がかなり残り、あるうちに作ってしまおうという事だったのかもしれませんね。この倉庫も現在は跡かたもありません。


 この写真は昔の倉庫が建てられていた場所です。昨年9月に現在の口石集会所の基礎工事にかかったとき、地中から変なものが出てきたと工事業者から話があり見に行きました。鉄パイプがかなり深いところまで埋められていました。掘り出してしまうには大変なので、地表から1.5メートルぐらいのところを切断して埋め戻しました。この鉄パイプは存在自体を知っている人は口石には皆無でした。
 旧軍の施設ではなかろうかと推察しました。直径約60センチ厚みは3.2mmで少しテーパがかかっています。周りは分厚いコンクリート(写真にあるもの)で固められていました。コンクリートを重機で割って取り除いてもまだ下に埋まっていました。おそらく、高さが20メートル以上の無線塔ではなかろうかと推察しました。

 するとかなり後になって、戦時中この倉庫を旧軍が接収して、食料を入れていたのを思い出したという人から話を聞くことができました。
 食糧難の戦時中そこに忍び込んで砂糖を盗み出した若い兵隊がいて、運悪く見つかり、散々痛めつけられとうとう死んでしまったそうです。その後その兵隊は戦死者扱いとなったそうです。
 この鉄パイプはまだ数メートルは埋まったままになっています。私が見たときも空気から遮断されて埋まっているので、痛むことなくきれいな状態でした。今後も何も言わずに眠り続けることでしょう。


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