2010年6月14日月曜日

昭和3年の議事録(昭和天皇御大典行事)

  昭和3年1月7日
     初集会に於協議事項
1、役員の改選  選挙結果
     区長重任 藤永 藤七
     代理 々  横田安之助
     評議員々 森田 祖助
       〃    森田 源八
       〃    池田  新
     新任    末永惣太郎(文代さんの祖父)
                以上

1.清算報告 区一般 証認通過
2.三柱神社境内普請、村評議の為当区より2名の評議員を出す事1字不明)は御大典記念事業  両村会議員に頼分   藤永市五郎氏、志方重太郎氏
3.苗木注文の件
4.2,3月に掛子富田付近里道修繕の証認
5.山永熊太郎宅山永亀四郎の分家の相談の件 証認を受く
6.真藤猶七氏病気為諸出合免除の件 証認
7.各講分手わけして道作等折出不足を取りたる場合、其の講の評議員に依て保管積立をなし置く。必要に応じて出し入れをなし初集会に於て右積立金の出し入れの報告をなす事
8.里道修繕の折、木場山炭坑軌道、従来苦情を来し居りし所、本年より炭坑より春秋の2回手入れを区に引き受けなすため、酒1斗2升を区中へ出す契約の許に解決す
9.不幸の折りは従来7つ迄は半葬式の所之を変更し
   1ケ年以上者死去の折りは本葬式と改む
   百日以上1年未満の者死去折、半葬式と改む


   昭和3年7月15日
 区集会に於 協議決定
1.牛馬の墓地を野坂の牛墓地定め置く事
2.不幸の際従来は悔み人に飲食をなさしめる事有りを以後は、絶対廃止なす事 春夏秋冬共
3.書いてはあるけど線で消してあります
4.普通、慰座当とし養子、嫁入なしたる人の親の不幸の時焚き出し沢山の人見舞に行き、飲食を供にする風有りを之を絶対に廃止す
之も加入者一金20銭を出し合て施主、特掛
5.越木岩の草場は福本元三郎氏へ
   1斗5升  売却
6.寄留金の事に付き協議
  口石区、人出入多き場所故色々規約はあるも其の時の区役員に於て適宜の処置をなし規約にもとらぬ限りの範囲内に処理なす事然れ共、寄留金成る可規定分は取事
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 昭和3年は昭和天皇が即位をされる御大典の行事がほぼ1年をかけて行われています。佐々村でも1月の初集会で役員改選、会計承認の次に、御大典の記念行事の区代表2人を当時の村会議員2名にお願いしています。


 藤永市五郎(博輔さんの祖父)と志方重太郎(重憲さんの祖父)です。子孫の方に聞いたら聞いた気もするがはっきりしないということだったので、佐々町の議会事務局に尋ねてみました。当時村議会の議員は18名でその中に両氏の名前もありました。


 藤永市五郎さんは前出の「木場山炭坑」の経営もされていました。また志方重太郎さんは前出の口石の芝居小屋……町の郷土史によると大正8年に「口石劇場」としてできたそうです……の代表をされています。もともと両氏は農家です。

 写真は三柱神社境内に、この年建てられた記念碑です。古ぼけて文字は読みづらくなっていますが、右から左へ「大禮奉祝記念」とあります。日付は昭和3年11月10日となっています。神主さんに電話で聞いたらそんなのがあるかどうか知らないとのことだったけど、本殿のすぐ近くではあるけど、ほとんど目立たないところに他のものよりは小ぶりでありました。藤永市五郎さんは委員と氏子総代として、藤永藤七さんは区長としてこの記念碑に名を連ねておられます。

 このころは小さな子供が死んだ時は当たり前の葬式はしていなかったようですね。7歳までは半葬式としていたところを、この年から改めて満1年以上の場合は本葬式をして、100日以上1年未満の場合は半葬式をする、と決めました。半葬式の時は香典も半分だったそうです。子供が親よりも早く死ぬのは親不孝者という考えがあったのでしょうね。

 寄留金のことに関しては長くなりそうなので、次回に回します。



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