2010年7月5日月曜日

昭和5年の議事録(旱害や大風に見舞金を出す)

   昭和5年1月7日協議事項
1.決算報告区一同承認を得通過
1.炭坑調査費立て替え金は区協議により、被害者受け入れ金より払い込む事。
  右金は無利子の事
1.森田吉三郎氏区入り相談あり、承認する
1.大浦宣一死去のため出夫女で一人前にする事
1.主婦会組織として貯金する事
1.寄留金は評議員に一任する事
1.区役員改選の結果
       区長       池田 新      
       区長代理    横田安之助
       評議員 新任 山本藤蔵
                 松田幸四郎
             新任 藤永半兵衛
                 大浦信一

     昭和5年7月
1.野坂免岩下草場返納   宮本新三郎
1.近年稀れなる旱害あり、義捐金15円50銭支出する。昭和4年度分 
1.大風被害見舞金として20円支出。昭和5年度分 ★★
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★ この年旱害や大風の被害が出ていますが、口石の場合義捐金や、見舞金を出す方で、貰っていないのが幸せです。昭和30年代から40年代にかけて台風や大水害に長崎県一帯は襲われましたが、口石の場合は少しばかり高台になっていて、浸水の被害は全くありませんでした。当時被害甚大な時にほとんど無傷でした。
 
 その時、旧北松南高校……現在の清峰高校……は川のそばにあったため完全に浸かってしまいました。長崎県は再起不能と思ったのでしょう、高段(現在の千本公園一帯)を買収して新しい校舎を建設する事にしました。ところが地元は駅から遠いという事で反対して、元の場所に新築して、堤防も立派なものが作られ、その後決壊する事もなく順調に推移しています。県が買収した土地はその後佐々町のものとなり、今はグラウンドや公園になっています。


 (写真は現在の清峰高校の玄関です。つつじの植え込みの中に平成17年の夏に初めて野球部が甲子園出場したときの記念碑が見えます)

 昭和5年の会計記録では、5月6日に旱害義捐金補助として25円支出して、10円は立て替えとあります。また同年の12月20日には「旱害義捐金、区長以下役員にて6円、力竹医院3円、湯浅50銭(会計立て替え支払い)」と詳しく書いてあり、9円50銭の入金が記されています。議事録の義捐金15円50銭とある中途半端な金額は、区の会計から支出し、役員と病院、商店主からのカンパで9円50銭、合わせて25円を義捐金として出されていますが、ややこしい割には出した相手が全く分かりません。

★★ 次の大風の見舞金については何も記録がありませんので、区の会計からは出していないものと思われますが、なぜ議事録に書かれているのか不思議な気がします。

 旱害義捐金は昭和4年度分とあり、大風見舞金は昭和5年度分と議事録に明記されていますが、会計の記録には昭和5年の分に旱害義捐金だけしか記入されていません。              
(清峰高校玄関前には昨年春選抜大会で全国優勝した時の記念碑です。昭和42年の大水害で水浸しになった高校が全国優勝を果たすとは夢にも思っていなかったでしょう)


             

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