昭和29年7月28日
口石観音堂材料切りを区有林より3日間切り倒しトラックにて古川、横田製材所へ運搬し製材を始む
8月3日観音様移転す、其の日斧立を始む
8月22日観音堂立家始む、部落評議員及び世話人出務立家す
観音建立の為め左の世話人を選出す
横田安之助 大浦正雄 荒木泉 永安三七 藤永善七 力竹増太郎 末永勇七 藤永新 前川輝之 森田喜一 計十人
8月27日観音堂横石垣積み始め8月31日完成す。同時に観音堂建立完成す
9月12日観音堂落成式執行す。僧侶7人、来賓として町長、署長其の他多数。余興として口石区民演芸を催す。
11月15日公会堂畳表替え全部終了。尚、上敷8枚旧畳にて二枚重ねにて作る
昭和30年3月20日 総会
30年4月より班長を廃し、評議員を4名選出し区の評議を依頼し、其他に部落長、副部落長と共に6人当たらしむ
評議の手当左の通りとす
年俸各人当壱千円宛とす
尚、協議事項は左の通り決定
一、森の木道路延長、半坂道路申請
一、金比羅神社参拝道路 上下共
一、補助金増額年1000円を2500円に、青年会及び婦人会共同額
一、公民館組織創立の件
右
部落長
藤永善七 40
副及会計
森田朝一 46
評議員
1,2班より 藤永 新
3,4班より 力竹増太郎
5,6班より 山本 森
7,8班より 横田安之助
右の通り決定す
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この年建設された口石観音堂の現在の写真です。口石町内でも特に下場の人によって良く管理されています。
同時に築かれた石垣も苔むしてきましたが、立派にしています。下写真の右奥に見えるのは、口石小学校の校門です。この観音堂の場所で江戸時代、キリシタンを探すための踏み絵(やかん転ばしとここでは言っていたそうです)が行われたと郷土史家に聞いたことがあります。
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