昭和27年7月20日
森田貞夫 松田光春★ 横田昭 松澤秀己諸氏発起人になり植樹記念碑を建立を思い立つ。松尾泰作氏を始め松野與志晴 森田治吉 淡田清 横田恵助 荒木義和氏の寄附等あり同年9月8日に終了す
植樹記念碑に係る石工は佐世保市岳野免 森田保氏を起用す
右筆者は松田幸四郎★
前年度の申し送りに依り各班長の協力求め警鐘台修理費の寄附を受け14000円を消防団に支給す 猶又、部落費より10000円警鐘台建設資金とし親和銀行に定期す
昭和29年3月21日 惣会
前年度決算報告す右承認す
役員選挙
部落長 松尾泰作 21票
代理会計 山永朝一
惣会決議により町より部落交付金として24376円有り内18000円と部落より2000円計20000円を部落長に支給す 右承認す 猶又 部落支給は会計2000円 班長750円
同29年度より役員給料
部落長 20000円
代理会計 4000円
班長 1000円
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この年建てられた「植樹記念碑」は頂上の金比羅神社境内ではなく、登り口のステンレスの鳥居のすぐ近くにあります。(下写真)
★発起人でだだ一人お元気な松田光春さん(現在の姓は山下さん)にこの時の話を直接聞くことができました。写真は山下光春さん。新光電気(株)の会長さんです。
そもそもこの記念碑を思い立ったのは、消防団の飲み仲間の話から出てきたそうです。記念碑の石は木場川の森の木橋の所から6人がかりで運んで来たとのことです。車などは使わず、丸太2本に直径1メートルの石をくくりつけ担いで、およそ1キロの道のりですから若者とはいえものすごく苦労したそうです。
この記念碑の揮毫をされた松田幸四郎さんは光春さんの父親で、達筆ということで正福寺の記録係もされていたそうです。このときの議事録の筆字もこの方の文字と思われます。
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