鳥居といえば最初は木で作られ、石作りとなり最近はコンクリート製が増えてきたようです。金属製の鳥居で有名なのは銅(かね)の鳥居として吉野山の金峯山寺のものは全国的に有名で、世界遺産にもなっていますが、九州では英彦(ひこ)山の青銅製の鳥居(1637年建設)も国指定の重要文化財になっています。(下の写真)
ステンレスの鳥居はこの銅の鳥居にも負けないくらい長生きするのではないでしょうか。やはり刻印を打っておくべきではないでしょうか。
日本の西の端、長崎県は佐々町口石にある田舎の・いなかのお話です
その後の議事録はもちろんありますが、普通のノートにペン書きのものです。最近のものには、パソコンで打ち出したものもあります。私も何度か記録係や議長をしたりした記録があります。最近の出来事で特にここで取り上げるほどのことはありません。
今後は議事録から離れて、記念碑的なものを写真にとり、口石町内から佐々町や近隣のものを紹介していく予定です。
上の写真は現在の見返橋(昭和32年9月開通)です。手前に橋桁跡が2つありますが、右側(上流側)が国鉄臼の浦線の鉄橋跡で、左側が軽便鉄道の鉄橋跡です。この軽便の鉄橋跡は近くの人は海軍さんの作らした橋といっておられます。使わなくなった鉄橋の上に板をはり土を固めて車も通れる橋にしていたそうです。この奥の長崎山と呼ばれる所に軍の倉庫(弾薬庫)があったので急きょ海軍が作ったのでしょう。もちろん一般人は通行できませんでしたが、戦後には一般開放されたそうですが、板は腐って危なくて通りづらかったといわれています。ですから戦時中までは、この辺りには渡し船があり、その時の飛び石とか階段の名残がわずかに偲ばれます。
ところで、橋の鉄材撤収の件、口石には鍛冶屋が2軒あって、この人たちも行き、消防団の若手が加勢をしたのですから1日かかって長い鉄材を3本運んできたそうです。その後問題になり返却したそうです。使っていない鉄橋でも国鉄(国?)のものですから簡単には貰えなかったようです。