2011年4月18日月曜日

石の鳥居

 口石金比羅神社の山に向かって、左側の階段の登り口に石でできた鳥居があります。昭和54年4月に建立されたものです。この建設については昭和53年度の総会、昭和54年2月11日の議事録に記入がありますので、引用します。  

4.金比羅神社鳥居再建の件    

部落長及び氏子総代により内容説明あり。
  
 ◎2月3日佐藤石屋さんと契約され4月10日頃までに出来あがる様にとの事にて事前に話し合いをなした。
  
 ◎建設委員会を発足させて運営がなされて居る様に決定致しておるそうです。
  
 ◎鳥居本体80万円(建設費)
  
 ◎基礎工事は松野氏より奉仕あり。
  
 ◎部落民への御協力を御願致します。
 

 とあります。たしかに寄附を町内に呼び掛けて予定金額をかなり上回って集まった事を覚えています。
 
 鳥居左足の裏側には、石工 佐藤退助 と彫られています。佐藤さんは佐世保市で営業活動をされていますが、奥さんは口石の方です。佐世保から北松方面にかけて佐藤さんが手掛けられた石碑や石塔はたくさん見受けられます。
   
 この鳥居の右後ろに、写真のような古い鳥居の片足が1メートルばかり残されています。新しい鳥居を建てた時、古い鳥居の足に彫ってある建設時の発起人の名前が砂石ではありますが、はっきり読み取れます。  右から
 
 発起人 藤永東三 山永三太郎 山永熊太郎 松田武平 松田政五郎 藤永市五郎 藤永新三郎 尾崎富七 友田樫太郎 永石作一 志方兼吉 横田十三郎 永石善作 池田伴七 


 の14名の名前です。
 このブログをはじめから読まれている方は何人かの名前は思い出されるかもしれません。私の場合、数名の人が分からなかったので、お年寄りに聞いて回りましたが、全部は分かりませんでした。今では子孫の方が口石に居られない方もあるようです。  いずれも旧家の方ばかりですから立派な石塔の墓があります。戒名塔を見れば亡くなられた時の日付が数名の人で分かりました。早い人で昭和8年に68歳で亡くなっておられます。明治の初めかその少し前の生まれとなります。となれば、明治の後半から昭和の初めにかけてこの古い鳥居は建てられた事になります。鳥居の上部は崩れても足に彫った名前は当分は残りそうです。

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