2011年4月4日月曜日

昭和33年度の議事録①(森の木延長道路完成)

 4月5日 半坂道路落成に付き公民館に於いて竣工式を催す。役場より町長、土木課長、土木技師、土木委員長を招待。  費用、酒1斗2升6000円、肴折詰(1人150円)20人分で3000円、諸雑費約2000円、計12000円也。盛会裏に終わる午後2時より、5時にて万歳(婦人部の料理)  

4月13日より森の木延長道路工事に着手する。各班別にて実施、1戸2日平均にて完了
延べ日数11日  

4月23日完了  釘代1メ目400円、土管1本420円
延べ人員  男210 女163 計373人 受益者 松永役太郎氏、前川輝之氏より酒3升、池田義彦氏肴代寄附、志方栄一宅を借りて完成式を行う。女の人には部落よりパン50個支払う。  

7月16日 役場より95000円森の木延長道路補助金として貰う。
 

7月26日 見返橋鉄材撤収実施。消防団労力奉仕に依り1日にて終了する。
 

9月25日 消防ポンプ入魂式(公民館に於いて)
  ○役場関係招待者 約40名  ○部落招待者 各種団体長を含めて20名 ○消防団員35名 ○部落班長10名 計99名  料理一式婦人会にて仕出し1人400円の割 費用 39900円  部落寄附金45000円あり 酒2斗9升★★ 折詰、肴、赤飯 其の他

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  森の木道路延長工事に付いて詳しく書かれていますが、今では考えられない事です。森の木道路は田んぼの作業道路です。部落民総出で作業をしたり、部落の金を使っています。当時は兼業を含めたらほとんどの家が農業にかかわっていたということでしょう。現在では口石の専業農家は2戸だけと思われます。それにしても当時、数人の受益者しかいないのに部落総会で決議して、全員で作業して作ったのですから助け合い精神は大したものです。

★ 見返橋鉄材撤収とありますがこれは、見返橋は前年に架かったばかりですから明らかな間違いで、見返橋のすぐ上流の佐々川に架かっていた「軽便鉄道」の鉄橋の鉄材を外しに行った事のようです。すぐ横には国鉄臼の浦線の鉄橋も架かっていましたが、これは昭和46年12月に廃止になるまでは使われていましたから外すわけはありません。

 上の写真は現在の見返橋(昭和32年9月開通)です。手前に橋桁跡が2つありますが、右側(上流側)が国鉄臼の浦線の鉄橋跡で、左側が軽便鉄道の鉄橋跡です。この軽便の鉄橋跡は近くの人は海軍さんの作らした橋といっておられます。使わなくなった鉄橋の上に板をはり土を固めて車も通れる橋にしていたそうです。この奥の長崎山と呼ばれる所に軍の倉庫(弾薬庫)があったので急きょ海軍が作ったのでしょう。もちろん一般人は通行できませんでしたが、戦後には一般開放されたそうですが、板は腐って危なくて通りづらかったといわれています。ですから戦時中までは、この辺りには渡し船があり、その時の飛び石とか階段の名残がわずかに偲ばれます。


 ところで、橋の鉄材撤収の件、口石には鍛冶屋が2軒あって、この人たちも行き、消防団の若手が加勢をしたのですから1日かかって長い鉄材を3本運んできたそうです。その後問題になり返却したそうです。使っていない鉄橋でも国鉄(国?)のものですから簡単には貰えなかったようです。



★★ 消防ポンプの入魂式では100人ばかりの招待客で2斗9升、その前の半坂道の落成式では3月の総会では御払い程度簡素に行うとなっていたところを、4月には関係者を招待して1斗2升飲んでいます。やはり簡素にやっています。昭和2年の森の木橋の開通式では6斗5升とは比べようもありません。最近では酒の量はもっと少ないでしょう。

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