
ここに第十三高等小学校が出来た頃には、当時の小学生は、国道などはなく、平戸街道から分かれて出来たばかりのこの県道を通って通学していたのでしょう。
信号待ちのすぐ後ろに記念碑がたっています。当時の記録を読んだら、かなり年を喰った小学生もいたらしく、ヒゲをはやしたものもいたそうで、黄色の帽子の子供たちを見ていたらおかしくなってきました。
この国道を左へ行けば佐世保です。この写真一帯の国道筋を地元の人は「キャードバタ」と言っています。街道端がなまった言葉でしょう。この街道は平戸街道ではなくて、新しくできた県道のことだと思われます。最近言っている平戸街道は昔は街道とは言わずに「往還」と言っていたようです。
このあたりには、いろんな商店が軒を連ねていました。雑貨屋、酒屋、魚屋、肉屋、自転車屋、床屋、履物屋、質屋等は最近までありました。以前には鍛冶屋、時計屋、写真館、ラムネ屋、ぼたもち屋、居酒屋、料理屋さらには芝居小屋や遊女屋まであったそうですから相当に賑っていたようです。現在は雑貨屋と米店と不動産屋があるだけとなりましたが、最近、ドラッグストアと格安床屋ができました。
口石の中心地、閉店した酒屋の所です。左へ行けば木場です。平戸街道もここを通っていました。木場炭坑のトロッコ道にもなりました。旧県道はもう少し国道と同じ道を進みます。この地点は平戸街道、旧県道、現在の国道さらにはトロッコ道まで重なり合う地点です。

口石の入り口、新町の交差点です。右側の道路が国道で、真ん中の細い道が旧県道です。道幅は2間(3.7M)だったそうですから平戸街道の1間半(2.7M)からすれば少し広くなりました。
ここは、平戸街道を利用しています。この分かれ道で左へまっすぐ行けば正福寺へ行きます(平戸街道)。県道は右へ曲がって口石小学校の校門前に向かいます。




平戸街道の駕籠立て場跡は、史料では14か所あるそうですが、現在分かっているところは10か所でそのうちの1か所です。口石と佐世保市の境目の所にあります。ここには立派な石に刻まれた標識が出来ました。この辺りは早春からフキノトウ、ワラビ、ゼンマイ、ツワブキと山菜の豊富なところです。
ここから殿様が眺めたと言われる景色です。佐世保富士(愛宕山)や九十九島も見えてなかなかのところです。

ここに架かっている橋は森の木橋ですが、当時は飛び石だったのでしょう。
