この山の中にも分かれ道があり、民家もあります。
峠の頂上が見えてきました。ここに駕籠を下して殿様が一服されたそうですが、駕籠を担いだ人がもっと大変だったでしょう。 平戸街道の駕籠立て場跡は、史料では14か所あるそうですが、現在分かっているところは10か所でそのうちの1か所です。口石と佐世保市の境目の所にあります。ここには立派な石に刻まれた標識が出来ました。この辺りは早春からフキノトウ、ワラビ、ゼンマイ、ツワブキと山菜の豊富なところです。 ここから殿様が眺めたと言われる景色です。佐世保富士(愛宕山)や九十九島も見えてなかなかのところです。
以上、平戸街道(当時の人は平戸往還と言っていたようですが)の道筋については、毎月ウォーキングを行っている「平戸街道ネットワークの会」の資料にもとづいて書きました。佐々のお年寄りの中には、別の道を指摘される方もおられます。あの木は一里塚の木ではないと言われる方も聞いたことがあります。また、江戸時代は200年以上も続いたのですから、その間には道筋も移り変わったことも考えられます。今となっては確実な事は分からないのではないでしょうか。
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