2011年6月20日月曜日

口石の旧県道(1)ジンデバシ

 江戸時代から明治となり、人々の生活は一変し、新政府は新しい道路建設に乗り出しました。この辺りの幹線道路は平戸街道から県道へと変わっていきます。
 佐世保から田平への県道が計画された時は、小浦から志方を通って江迎へ行く案が最短距離で提案されたそうですが、地元民の反対で立ち消えになり、口石を通って行く現在の国道と交差するものになったそうです。最近では志方を通る道路が高速道路「西九州自動車道路」に直接つながる道路が江迎から出来上がりました。
 もし、最初の県道が口石を通らずに、志方へ行っていたら、今の口石は志方みたいに農家だけの集落になっていたのかもしれませんね。 


 上の地図の赤い縦の線が現在の国道204号線です。平戸街道(点線の道)は口石から半坂道 を通って山の中を通っています。昔の武士が考えたのは、防衛のためとのことで、谷間の道は通らずに、尾根筋の見通しがきく所を通っています。
 旧県道は明治20年に着工して21年に開通したと佐々町の記録にはあります。黒い実線で示したものが当時、最初に作られた県道です。安上がりに早く作ろうと地形に沿って曲がりくねっていて、旧街道も利用しています。その後、改良されて現在の国道へと移っていきます。
 口石の入り口、新町の交差点です。右側の道路が国道で、真ん中の細い道が旧県道です。道幅は2間(3.7M)だったそうですから平戸街道の1間半(2.7M)からすれば少し広くなりました。 ここは、平戸街道を利用しています。この分かれ道で左へまっすぐ行けば正福寺へ行きます(平戸街道)。県道は右へ曲がって口石小学校の校門前に向かいます。
 途中の橋は「順手橋」じゅんでばしと読むのでしょうが、地元の人の発音では「ジンデバシ」とも聞こえます。
 上の写真は佐々町郷土史のものです。旧県道の「須手橋」とありますが「順手橋」が正しいようです。当時の橋は石橋だったのでしょうか。  現在は、きれいに護岸工事もされた順手川と順手橋、そして農業用水の取水のための堰も見えます。新しい住宅と舗装道路ばかりですが、少し前までは田んぼばかりの所でした。



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