2011年8月29日月曜日

口石の橋(2)富田橋(とんだばし)

この橋には「富田橋」と書いてありますが、地元では「とんだばし」と呼んでいます。口石と隣部落の小浦を結ぶ所にかけられています。赤崎橋の上流になります。木造の橋をコンクリートの橋に、大正10年に架け替えられたと聞いています。今年、西九州自動車道路の建設工事に伴い架け替えが行われましたが、現在はまだ通行ができません。


 現在は仮設の橋が少し上流に架けられて、迂回道路もそちらに出来ています。西九州自動車道は、当初今年4月開通の予定でしたが、遅れて9月開通と言われていますから、この橋もそれまでには通れるようになるでしょう。
橋の欄干には真新しいプレートが
付けられています。小浦の集落には「富田」姓が多くありますが、橋の名前とのかかわりについて聞いたことはありません。この橋の少し下流の小浦側の岩がむき出しの所には人工の四角い穴が数か所ありますが、以前この付近から川の水を汲んでいた時のものだろうと聞いたことがあります。



こんな立派なネームプレートが付いたのでは、これからの人は「とみたばし」と言うようになるのではないでしょうか。以前、石の鳥居の項で、口石金比羅さん参道の階段にコンクリート製のものが使われていると書きました(上写真のもの)が、大正10年にこの橋が作りかえられるときに、ここで作ってもらい700メートルほど離れた口石まで若者たちが運んで来たものです。横の長さはおよそ122センチで同じですが高さは15センチ前後、奥行きは24センチ前後とややばらつきがあります。全部で50個ありますが、型枠は若者たちが作ったのではないでしょうか。写真ではよく分かりませんが、セメント部分は表面から剥げ落ちて玉砂利がよく見えますが、90年ほどの年月を感じさせます。





2011年8月22日月曜日

口石の橋(1)赤崎橋(メロディー橋)

 江戸時代には、橋を架けることが御法度だったので住民はずいぶん不便な思いをしていたことでしょう。明治に入ってからは自由に橋を架けることが出来るようになり、全国的に橋が架けられ、特に石を組み合わせたアーチ橋は最近、文化財として珍重されるようになってきました。近くでは、世知原や吉井の石橋は有名になってきましたが、佐々町内にも3か所、石のアーチ橋が健在で今も使われています。残念ながら口石には一つも石橋はありません。
  口石に架かっている橋はざっと見ても10以上はあります。川は木場川と順手川です。その他にも農業用水が縦横に走っているので、小さい橋はかなりの数あります。そこで、名前が付いている橋だけをこのブログでは取り上げる事にします。

 赤崎橋(あかさきばし)
木場川に架かる橋のうち、口石ではもっとも下流になります。昭和59年に、この橋の架け替えがされました。町道赤崎線も交通量が増えて橋の幅が狭くなったので拡幅が主な理由と思います。当時、赤崎橋と言うよりは「メロディー橋」として有名でした。「赤とんぼ」の楽譜は色あせてしまいました。
下流側の欄干には、上の写真のような鉄琴の鍵盤が縦に取り付けられていて、順番に叩いていけば、夕焼けこやけーの赤とんぼのメロディーが奏でられるようになっています。数回はやってみたけど、音色がいいとは言えませんでした。近くの口石小学校の児童たちが下校時にはよくたたいていましたがすぐに飽きたようです。叩き棒もすぐになくなりましたが補充もされなかったようです。たぶん今も音は出ると思いますが誰も見向きもしなくなったようです。










2011年8月15日月曜日

口石の溜池(5)淨香谷の堤、中園山の堤

 淨香谷の堤(ジョウゴダニノツツミ)  写真ではよく分かりませんが、この一帯のくぼ地が今では水は全く溜まっていませんが、ジョウゴダニノツツミの所と思われます。  この堤のすぐ下は畑があったけど今は何も作られていません。上の写真はこの畑の土羽(どは)で、その下を町道淨香谷線が走り、その下が平田溜池となります。







 中園山の堤(ナカソノヤマノツツミ)

 この堤の場所は淨香谷の堤のさらに上の段です。背の高い夏草をかき分け、つる草を鎌で切りながらやっと近づく事が出来ました。水が、たしかに水がたまっていました。今では田んぼに引かれる事もなくなったのに律儀に水を溜めていました。この辺りは水気が多そうでこの堤の上の段の畑跡の水たまりはイノシシのヌタバ(イノシシが泥んこになって体に泥を付ける場所)になっていました。 この辺りの田畑は現在は耕作放棄され、ひどい藪地になっていて、写真で表現することができません。イノシシの格好の住処となっているようです。真新しいイノシシの足跡をいくつも見かけました。近くには竹山があり春には、うまいタケノコが取れていましたが、今ではイノシシに旨い初物は奪われ、我々は彼らのおすそわけに甘んじるようになっています。



 口石の溜池を耕地整理の堤も含めて11か所紹介しましたが、現在使用されているのは4か所だけです。農業構造改善事業で農地は整然と区画整理がなされ、水路もきちんと整備されました。渇水になっても佐々川からの揚水ポンプにより上げられた水で万全を期しています(使われた話を聞いたことはありませんが)。万事よくなったようにも見えますが、昔の山や川の風景とは少し違うような気がするのは、私が年をとったということでしょうか。










2011年8月8日月曜日

口石の溜池(4)大山口の堤、野坂の堤

 大山口の堤(オオヤマグチノツツミ)

 口石では、平田溜池に次いで大きな池です。水利も利用されています。 20年ほど前になりますが、いかだレースが行われていた時、作ったばかりのものを進水させてテストランをしたのがこの堤です。当時は、水草もなく十分楽しむことが出来ました。もっとも最初は、広い平田の溜池でテストする予定でしたが、水草に覆われボートも下せない状況でしたが、大山口の堤は当時全く水草はありませんでした。この頃から水草がはびこり始めたようです。 

 以前、口石の平戸街道でもこの大山口の堤は紹介しましたが、ここの横の道は口石から直接佐世保につながる道路になっています。狭いので一般の人はあまり利用しませんが、抜け道的に利用する人は増えてきました。私も朝の通勤ラッシュを避けるために数年間利用した事があります。


 堤横のカーブミラーに「注意」の文字が見えますが、ここで大捜査が行われたのを目撃したので当時の様子を描いてみます。朝から長崎県警のパトカーをはじめ大型バスも含めて7~8台の車両と、制服、私服の警官が10数名やってきて物々しい雰囲気になってきました。壮観だったのは、大型バスからウエットスーツに大きな足ひれを付け背中に酸素ボンベを付けた隊員が20人下りてきました。その後、道路の反対側の池の中にこの20人が横一列に並び、指揮官の合図でゆっくりと動き始めました。何のことかわからずに見ていたけど、この時になって拳銃を探しているなと感じました。簡単には見つからないだろうが見つかれば終わりになると思いました。それほど大きな池ではないので、およそ10分ぐらいした時、中央付近の隊員が水中から見つけたものを高々と差し上げました。大事そうにビニールの袋に入れました。すぐには上がってきません、距離を巻き尺で計ったりして場所の確認なども行いその後にゆっくり上がってきました。その時の池の深さは隊員のへそぐらいのものでした。鑑識らしいライトバンの車の荷台の所で上司がビニール袋から出して眺めているところを、携帯で写真に撮りましたが、あまりにも暗くて写真ではピストルは確認できませんでした。肉眼でははっきり見えましたが、小さなもので大人の手のひらに入ってしまうほどのもので、殺傷能力はそれほどなさそうでした。 他の隊員はまだ池に入ったままでした。拳銃の弾も捨てたらしいのでそれを探していたらしいけどなかなか見つからないので、われわれはその場を離れました。佐世保であった暴力団の抗争事件の後逮捕されたものが、この池のカーブミラーの辺りでピストルを投げ捨てたとの供述により証拠集めがされた時の模様です。5年ほど前の出来事です。


 このブログのために写真を撮りに行ったら、カーブミラーのすぐ横「不法投棄禁止!の看板が建てられていました。当時はなかったと思うので、その後立てられたようです。車やタイヤの絵が描かれていますが、ピストルの絵がないのが少し物足りません。



 野坂の堤(ノサカノツツミ)


 この堤の水は現在は水田には使われていないようです。堤体はしっかりしていますが、一面に水草が茂り浅くなっていくらも貯水容量はなさそうです。今後も堤としての役割を果たす事はないのではないでしょうか。





2011年8月1日月曜日

口石の溜池(3)寺田の堤、山下の堤

 寺田の堤 (テラダノツツミ)

 この堤は寺田家のすぐ裏にあります。水草も少しはありますが、今回写真を撮りに行った堤では堤体の草もきれいに刈られていて、もっともよく管理されているところでした。この堤の水利は現在では、寺田家の田んぼ1枚だけにしか使われていません。 

 この堤の周りには植林された檜も大きくなっていて、森の中の溜池の風情があります。数年前にはカモが飛来してきて5・6羽住み着いていました。


 山下の堤 (ヤマシタノツツミ)
 寺田の堤の下段にありますが、水は全く溜まっていません。この池の水を使う田んぼが現在では1枚もないのですから仕方ありません。

 上の写真は寺田家の堤の水を使っている1枚だけの田んぼですが、石垣下の水路の水は、写真右から左手前に流れています。以前は、逆方向に流れていたそうですから、おかしい話ですがこの付近の地下には、炭坑時代の坑道が縦横に掘られているそうで、そのせいだろうとのことでした。