橋の欄干には真新しいプレートが
付けられています。小浦の集落には「富田」姓が多くありますが、橋の名前とのかかわりについて聞いたことはありません。この橋の少し下流の小浦側の岩がむき出しの所には人工の四角い穴が数か所ありますが、以前この付近から川の水を汲んでいた時のものだろうと聞いたことがあります。
日本の西の端、長崎県は佐々町口石にある田舎の・いなかのお話です
中園山の堤(ナカソノヤマノツツミ)
この堤の場所は淨香谷の堤のさらに上の段です。背の高い夏草をかき分け、つる草を鎌で切りながらやっと近づく事が出来ました。水が、たしかに水がたまっていました。今では田んぼに引かれる事もなくなったのに律儀に水を溜めていました。この辺りは水気が多そうでこの堤の上の段の畑跡の水たまりはイノシシのヌタバ(イノシシが泥んこになって体に泥を付ける場所)になっていました。 この辺りの田畑は現在は耕作放棄され、ひどい藪地になっていて、写真で表現することができません。イノシシの格好の住処となっているようです。真新しいイノシシの足跡をいくつも見かけました。近くには竹山があり春には、うまいタケノコが取れていましたが、今ではイノシシに旨い初物は奪われ、我々は彼らのおすそわけに甘んじるようになっています。 口石の溜池を耕地整理の堤も含めて11か所紹介しましたが、現在使用されているのは4か所だけです。農業構造改善事業で農地は整然と区画整理がなされ、水路もきちんと整備されました。渇水になっても佐々川からの揚水ポンプにより上げられた水で万全を期しています(使われた話を聞いたことはありませんが)。万事よくなったようにも見えますが、昔の山や川の風景とは少し違うような気がするのは、私が年をとったということでしょうか。
口石では、平田溜池に次いで大きな池です。水利も利用されています。 20年ほど前になりますが、いかだレースが行われていた時、作ったばかりのものを進水させてテストランをしたのがこの堤です。当時は、水草もなく十分楽しむことが出来ました。もっとも最初は、広い平田の溜池でテストする予定でしたが、水草に覆われボートも下せない状況でしたが、大山口の堤は当時全く水草はありませんでした。この頃から水草がはびこり始めたようです。
堤横のカーブミラーに「注意」の文字が見えますが、ここで大捜査が行われたのを目撃したので当時の様子を描いてみます。朝から長崎県警のパトカーをはじめ大型バスも含めて7~8台の車両と、制服、私服の警官が10数名やってきて物々しい雰囲気になってきました。壮観だったのは、大型バスからウエットスーツに大きな足ひれを付け背中に酸素ボンベを付けた隊員が20人下りてきました。その後、道路の反対側の池の中にこの20人が横一列に並び、指揮官の合図でゆっくりと動き始めました。何のことかわからずに見ていたけど、この時になって拳銃を探しているなと感じました。簡単には見つからないだろうが見つかれば終わりになると思いました。それほど大きな池ではないので、およそ10分ぐらいした時、中央付近の隊員が水中から見つけたものを高々と差し上げました。大事そうにビニールの袋に入れました。すぐには上がってきません、距離を巻き尺で計ったりして場所の確認なども行いその後にゆっくり上がってきました。その時の池の深さは隊員のへそぐらいのものでした。鑑識らしいライトバンの車の荷台の所で上司がビニール袋から出して眺めているところを、携帯で写真に撮りましたが、あまりにも暗くて写真ではピストルは確認できませんでした。肉眼でははっきり見えましたが、小さなもので大人の手のひらに入ってしまうほどのもので、殺傷能力はそれほどなさそうでした。 他の隊員はまだ池に入ったままでした。拳銃の弾も捨てたらしいのでそれを探していたらしいけどなかなか見つからないので、われわれはその場を離れました。佐世保であった暴力団の抗争事件の後逮捕されたものが、この池のカーブミラーの辺りでピストルを投げ捨てたとの供述により証拠集めがされた時の模様です。5年ほど前の出来事です。
このブログのために写真を撮りに行ったら、カーブミラーのすぐ横「不法投棄禁止!」の看板が建てられていました。当時はなかったと思うので、その後立てられたようです。車やタイヤの絵が描かれていますが、ピストルの絵がないのが少し物足りません。
野坂の堤(ノサカノツツミ)
この堤の水は現在は水田には使われていないようです。堤体はしっかりしていますが、一面に水草が茂り浅くなっていくらも貯水容量はなさそうです。今後も堤としての役割を果たす事はないのではないでしょうか。
この堤は寺田家のすぐ裏にあります。水草も少しはありますが、今回写真を撮りに行った堤では堤体の草もきれいに刈られていて、もっともよく管理されているところでした。この堤の水利は現在では、寺田家の田んぼ1枚だけにしか使われていません。
山下の堤 (ヤマシタノツツミ)
寺田の堤の下段にありますが、水は全く溜まっていません。この池の水を使う田んぼが現在では1枚もないのですから仕方ありません。
上の写真は寺田家の堤の水を使っている1枚だけの田んぼですが、石垣下の水路の水は、写真右から左手前に流れています。以前は、逆方向に流れていたそうですから、おかしい話ですがこの付近の地下には、炭坑時代の坑道が縦横に掘られているそうで、そのせいだろうとのことでした。