2011年9月26日月曜日

口石の橋(6)順手1号橋、2号橋

 木場川に架かっている橋については終わりましたので、今回から、順手川に架かる橋を下流側から見ていきます。


・ 順手1号橋(じゅんていちごうきょう)


 口石と新町町内会の境に位置していて、新町団地の小学生の多くはこの橋を渡って運動場側から口石小学校に通学しています。この道は自動車も通る事はできますが、かなり狭いので軽自動車以外はあまり通るのを見ません。





・ 順手2号橋(じゅんてにごうきょう)
 この橋は1号橋より少し順手川の上流にあり新町団地と国道204号線につながっています。新町団地はかなり前に作られ、最近補修がされるようなこともありましたが、この2号橋付近には戸立ての新築住宅ができたり、ドラッグストアの大型店舗が出来たりして、小さな川だった順手川の護岸はコンクリートできれいに固められています。  

2011年9月19日月曜日

口石の橋(5)森の木橋、太田橋

森の木橋(モリノキバシ
  昭和2年に最初の森の木橋は口石の住民によって鉄筋コンクリートで架けられました。この事に付いては、昨年の5月31日の本ブログで詳しく述べていますので、重複は避けたいのですが、橋の建設費が683円で村役場から、その3分の2が出されています。しかし、開通式は盛大に行われて当時の口石の戸数は60戸ほどでしたが、酒を6斗5升飲んでいます。宴会費用は123円かかっています。
 現在の橋は車の通行のために架け替えが行われましたが、親柱もなく何の表示もありません。

 森の木橋の辺りには大きな石が沢山あります。口石金比羅さんの記念碑の自然石のものはここら一帯から運んだものだといわれています。
 平戸街道ウォーキングの一行もこの橋を通って半坂越えをして佐世保方面に行ったり、佐々へ来たりしています。


太田橋(オオタバシ)
 この橋が口石の木場川に架かる橋の最上流となります。木場の炭坑が操業中は、この橋のたもとには貯炭場があり、トロッコで四ツ井樋の海岸まで石炭を運んでいました。
 現在の橋は平成6年に架け替えが行われて、3月に竣工しています。
 終戦後間もなく出来た森の木橋や口石東町橋と比べると、平成になってから出来たものは橋も道路も立派になりました。

2011年9月12日月曜日

口石の橋(4)妙見橋、口石東町橋

 妙見橋は通称ゼンモンバシと言われています。高速道路と交差しています。この橋に関しては、口石の旧県道の項で述べましたのでこのくらいにします。





 口石東町橋(くちいしひがしまちばし)


 下写真のようにこの橋にはガードレールはあるけれども門柱(親柱)に当たるものも欄干(手摺)もありません。したがって、橋の名前もいつ架けられたかもわかりませんでした。町道に架かっているので、町役場の建設課に問い合わせたら、道路が口石・東町線と言うことで、「口石東町橋」と名付けられたそうです。いつ出来たのかは調べないと分からないとのことでした。

 すぐ近くに佐々病院(精神科)があるので、「佐々病院の所の橋」と口石の人は呼んでいます。おそらく今後も、正式名称でこの橋を呼ぶ人はいないのではないでしょうか。

2011年9月5日月曜日

口石の橋(3)末永橋と末永歩道橋

 末永橋は高速道路関係で最近作られた橋を除けば、新しい橋と言うことになります。平成2年に田んぼを埋め立てて町営住宅を建てるために架けられた橋です。最初に3階建ての末永団地が出来、次に5階建ての雇用促進住宅、最後に4階(一部3階)建ての口石団地が建てられ、全部で280世帯ほどの団地となり、口石町内に隣接しているけど、新しく「佐々南(さざなみ)町内会」となりました。橋を渡ったすぐの所の赤い屋根は、佐々町南部地区体育館です。 この橋の下流に歩道橋が架けられて口石バス停へ便が良くなりました。

 この歩道橋の下の木場川でも、早春にはシロウオが上ってくるのでシロウオ漁をする人がいますが、川幅が狭いので佐々川のものより小ぶりの四手網を使っています。