2011年11月7日月曜日

佐々の石橋(2)江里峠下橋

・ 江里峠下橋(えりとうげしもはし)
   この橋は前回の江里峠橋のおよそ200メートルほど下流に架かっています。工事が行われたのは、江里峠橋より30数年遅れて、大正10年に旧県道を広げたり、急カーブ、急傾斜を緩和する工事されたときに作られたと言われています。前出の三好芳男さんの話ではこの橋は「下の茶屋橋」と呼ばれていたそうです。すぐ近くに屋敷跡らしいところが残っています。この江里峠には明治なっても茶店が2軒あり、もう一軒は「上の茶屋」と呼ばれていて、現在も神田さんといわれる子孫の方が昔の場所に住まれています。
 この橋の特徴は、12メートル余りにも及ぶ橋の幅(アーチの長さ)で、これほどの幅の広い石橋は九州では見ることはできないそうです。橋の上には土盛りがされ、傾斜があるため道路幅はかなり狭くなっています。以前橋の両側にはコンクリートの柱が建てられてその間に鉄のチェーンが掛けられていたそうですが、戦時中に金属の供出のため、この鎖まで無くなったそうです。  アーチや、壁石には「江戸切り」と呼ばれる近代的な削岩様式が用いられ、下流側(上写真)の底には平たい石を敷き詰めて、流れてきた土や石が溜まらないような工夫がされた所が今もはっきり見られます。 上の写真は上流側からのものです。アーチ部や壁面は今もって完璧なものです。


 この橋の下を流れている川の名前を調べましたが、佐々町の建設課の台帳にも記載がありません。地図で調べても江迎川の支流の山の田川の支流の高岩川のさらにその支流で名前が付いていません。この川は江迎町側に流れていて、近くに江里川というのもありますが、この川の水は、佐々側に流れている別物です。 橋の名前も台帳にはありません。平成21年4月にこの橋の近くに説明の看板を建てた時、佐々町教育委員会が名前を付けたそうです。おそらく明治・大正の橋を架けた時には名前はあったでしょう。長崎県の当時の台帳があれば記載されているのではないでしょうか。

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