殉国英霊之塔
昭和35年に正福寺境内に建てられました。昭和27年に金比羅さんに建てられた平和之塔と同じ趣旨のものと思われますが、時代の推移でかなり変わってきたように思えます。警察予備隊が作られ、保安隊となり自衛隊となり再軍備へと保守反動の波が押し寄せてきた感じは否めません。 戦死者名の他に階級が付けられ、戦死の日付と場所も記されています。それによると、明治7年に佐賀で戦死された方が1名だけおられます。この方は江藤新平らの佐賀の乱の時戦死された士族の方のようです。
日本の西の端、長崎県は佐々町口石にある田舎の・いなかのお話です
0 件のコメント:
コメントを投稿