車で走っているときは、気付かなくても歩いて通れば意外なことが目に付きます。最近は自転車で出歩くことが多く、この日も吉井、世知原の石橋の写真を撮りに出かけ神田を通りかかった時、道路わきの小さな水路に架かっている橋が、アーチに見えたので近寄って見たけど、土と雑草に覆われていて石の継ぎ目はほとんど分からず、コンクリートアーチのようにも思えました。 川に降りて見たら砂岩の立派なアーチ橋です。しかし、役場の台帳にはこの橋は載っていませんでした。
その後、近所の人に話を聞きましたが、石橋ということは知っていても、何も気にとめることもなく、普通に使用されていたそうです。この橋を常時使っているところは2軒だけです。いつごろどんな経緯で架けられたかは全く聞いたことがないそうです。石橋にはそれぞれ架橋にまつわる物語が残っているのに、何もないのは不思議な気がしますが、この辺りには昭和の初めに神田(こうだ)炭坑(通称、日鉄神田)が開かれて、神田小学校が出来るほどの賑いとなりました。しかしそれも、昭和36年には閉山してしまいました。
写真奥の家は、橋本(神田町内会長)さん宅です。前の田んぼに炭坑時代は炭坑のテニスコートがあったそうです。たぶん炭坑が石橋を架けたのだろうとのことでした。流れている川は川添川とのことです。この橋を利用しているもう1軒も橋本さんということでこの橋の名前を橋本橋ということにしようと二人で命名しました。上から読んでも下から読んでも、川も橋も同じ語呂合わせになりました。
この付近には炭坑時代の遺物がかなり残っています。上写真は神田炭坑の坑口です。橋からすぐ見えます。
この長く続く石垣は、石炭を運び出すトロッコ線路跡で、手前には線路の橋がかかっていたそうです。
少し上手に、レンガ作りの炭坑の変電所跡がつる草に覆われていますが数年前までは屋根もありました。
トロッコ橋
はじめは石炭を積んだトロッコを馬が引いていたそうですが、後からは、軽便鉄道の蒸気機関車が15両程のトロッコを引っ張っていたそうです。場所は軽便鉄道の猪立山(いたちやま)駅、現在では清峰高校前駅と神田駅の中間あたりの佐々川の淵に石のアーチ橋の1条だけ輪石が残っています。この橋も当時はちゃんとした名前が付いていたのでしょうが、今では、トロッコ橋と呼ばれています。増水時には水に揉まれていますが、壊れないのは、アーチの石組の強さを証明しているようです。これも含めると佐々町には5基のアーチ石橋がある事になりました。 口石金比羅さん物語として書き始めたものの、3年目を迎えて口石だけではネタ切れになってきました。今後は、佐々町・北松・県北地区へと広げていきます。
ネタ切れですか?
返信削除佐々町全域を記事にされるのであれば、”お地蔵さん”シリーズなんてどうです?
城辻山から皿山までの佐々連山の峰々には沢山のお地蔵さんがあります。私は謂れは知りませんが、目にするとかしこまるものです。
ただ、登るのはたいへんかもねぇ。
ゼンモン橋の脇にもお地蔵さんはありますね。あれは学童の供養でしょうか?
口石から少し離れたので、石橋シリーズをやってみようという気になった次第です。県北のレポーターをする事になり、そのネタ探しもやっているので佐々だけにはこだわらずにやってみようと思っているところです。
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