時は維新の明治4年(1871年)12月、四国は讃岐の金比羅さんに詣でた、口石の3人。横田昭さんのひいひいじいちゃんの安平さん、友田宮司さんのご先祖の千蔵(ちくら)さん、そして山永知(さとる)さんのひいじいちゃんの浩吉(こうきち)さん。 自動車もなければ鉄道もない時代、何カ月もかけた長道中、その疲れも、ものともせず、一心不乱にお祈りし、二夜三日の祈願が通じ、お札を貰って帰ってきたというのがこの金比羅さんの始まりであります。 (横田家に伝わる金比羅さんの木札)
それから今年で124年目この春のお祭りには旅回りの役者一行の芝居がかかったり出店も出て賑いを見せていました。戦後は、青年団の若者が中心になって演芸会を行っていましたが、最近はPTA、子供会、消防分団、婦人会などの皆さん方のご協力で演芸会を行うようになりました。
というのが平成7年4月10日(とおかの日曜日)の演芸会当日に配った口石金比羅さんの由来記です。上の写真の木札(約1メートルX20センチ、厚さ2.5センチ)を見て書いたものです。
写真では文字が読めないと思いますから書き記します。真ん中上から下に
金刀比羅宮奉二夜三日祈祷家内安全守護攸
両側上部に 明治四年十二月吉日 下部に 本宮社務 と書かれています。
明治4年といえば廃藩置県の年で、明治5年に汽笛一声新橋を日本最初の汽車が走った年です。田舎はどんな状況だったか想像できませんが、金比羅さんまで行くとなればまとまったお金がなければできなかったことでしょう。
現在、四国の金比羅さんの本宮で出されているお札(大90センチ)の写真を添付しますが、日付は入れてありません。