2010年1月11日月曜日

山永幸吉さんのこと

 金毘羅さん参りをした3人のうちの一人山永さんの名を「浩吉」さんとしていましたが、古い戸籍を調べたら「幸吉」さんとなっていました。訂正して改めます。曾孫にあたる知さんに聞いたものですが、このとき知さんは病床に伏せておられて言葉では確認したけど、文字の確認まではしていませんでした。

   上の写真は子孫の方に佐々町役場から幸吉さんの戸籍謄本をとってもらいました。これによると、幸吉さんは天保14(1843)年8月22日生まれで、大正7(1918)年7月23日に亡くなられています。74歳ということは長寿ですね。

 こんなに古い戸籍は聞いてはいたけど、見るのは初めてでした。手書きしかも毛筆の達筆な文字が見事なものです。最近のパソコンの文字とは全く違う味があります。何であれ原本のコピーを取って証明するだけなのに、手書きのものは近頃のものの2倍以上の手数料を役所が取るというのはおかしな話です。


 幸吉さんの仕事は大工さんだったそうです。代々引き継がれて曾孫の知さんまでは大工さんでした。その子供は大企業の会社員となりましたので大工さんは途絶えました。

 この木箱は口石部落(当時)の役員から腕を見込まれ、頼まれて幸吉さんが作ったものです。大きさは30x21x9センチ(10寸x7寸x3寸)、ふたの表には「證物箱」と書かれています。部落総会の議事録や契約書などの証拠書類を入れるものとして今まで大事に扱われてきました。

 現在は口石町内会会長宅で書類とともに保管され代々引き継がれています。箱、ふたともにしっかりしていて少しのがたもありません。ふたの内側には明治43(1910)年1月の日付と幸吉さんの墨書が鮮やかに残っています。ですからこの箱はこの正月でちょうど100年となります。 あとまだ100年は大丈夫でしょう。


 この山永家の墓は平田の墓地にあります。幸吉さんはここに入っておられ、右の法名塔に名前が刻まれています。
 山永家の家系
   山永幸吉→熊太郎→朝一→知→徹

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