友田家は代々神官をされてこられました。現在の友田千利当主は17代目に当たられるそうです。佐々町松瀬免の熊野神社の神主をされています。
現在は松瀬免に住まわれていますが、10年ほど前までは、ずっと口石に住んでおられました。口石小学校の近くに家屋敷もあり、古い井戸もあります。墓地・・・神主さんですから墓ではなく「奥津城」となっていますが、これも口石の正福寺横墓地の一画にあります。
現在は松瀬免に住まわれていますが、10年ほど前までは、ずっと口石に住んでおられました。口石小学校の近くに家屋敷もあり、古い井戸もあります。墓地・・・神主さんですから墓ではなく「奥津城」となっていますが、これも口石の正福寺横墓地の一画にあります。
友田ちくらさんの戸籍謄本も佐々町役場からとってもらいました。上の写真がそれです。
また「ちくら」さんの戸籍の文字は「千座」と思われたけど「座」の文字の「人」が2つ並んだものの左側が「口」に置き換えられていました。その文字をパソコンで出すことが私の腕ではどうしてもできませんので「千座」と表記することにします。
友田家の奥津城の2つある霊名塔の中央の円柱のものの真ん中に「千坐」と書かれていて、广がなく、左側の「人」も「口」になっています。あぐら座りというときのあぐらは「胡坐」と書くし「座」は「くら」とも読むので、「坐」と「座」は同じように使われていたのかもしれません。明治時代には、同じ文字が並んだら一つを違う文字に変えることがはやったりしたのでしょうか。
友田千座→佐仲→俊夫→新→義衛→千利
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