当時区役員
区長 藤永 藤七(雅之さんの祖父)
評議員 森田 祖助(謙介さんの祖父)
森田 源八(朝一さんの祖父)
松野 寅市 (強さんの祖父)
池田 新 (新治さんの祖父)
区長代理 横田安之助(憲治さんの祖父)
触役 末永平四郎 (茂子さんの義父)
山口 市三 (キヌ子さんの義父)
大工 淡田 友市 (邦夫さんの祖父)
鍛冶屋 真藤峯太郎
石工 大浦 清 (芳の浦におられた)
設計主任 池田 勇平(相浦へ転出された)
以上
当橋実費計上
金366.75円 鉄筋、セメント、釘金具、セメント2千樽
金 56. 00円 砂利4坪、坪14円宛
金 84.90円 松板56坪、木挽賃
金 38.80円 砂料、唐津砂1坪5合
金 1.70円 釘代
金 6.20円 砂利テボ5カ代
金 7.50円 俵・縄・莚代
金 6.50円 トロ及車借賃
金 12.00円 写真料
金 25. 00円 石工賃
金 20.00円 鍛冶屋賃
金 50.00円 大工手間料
金 8.00円 親柱4本代
金 15.80円 石垣積雇人賃
金 5.00円 コンクリ道具借賃
金 1.50円 砂フルイ代
金 27.66円 油代及村委員立会、通信料其他
計683円31銭也
開通式 雑費
金 60.00円 酒6斗5升代(この酒の量には驚きます)
金 25.00円 折漬25人前
金 14.85円 肴代
金 3.00円 神官御礼
金 5.00円 芝居小屋料及薪代
金 15.50円 播き餅代
計123円35銭也
合計金806円66銭也
区民人夫 298人5合役
森木橋に村より補助金
金473円26銭也 之は三分の二を村にて負ふ。区は三分の一を負て、橋は村に寄附す
金 19円 招待人御祝
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写真の橋は現在の「森木橋」です。道路は半坂(はんざか)線と呼ばれていますが、江戸時代には「平戸街道」として使われていました。その前の戦国時代には半坂合戦などもあり、この付近の大動脈だったようです。 私も佐世保への朝の通勤には国道の渋滞を避けるためによく使いました。狭いけれども車での通勤に使う人は結構いました。
現在の橋はこの時建設されたものではありません。大きな鉄骨が使用されて、車両の通行のために作りかえられているようです。何年に架けられたか記入はありません。この川は木場川です。
橋の建設については、几帳面な人がしっかり記録され、当時の物価などよくわかります。また、大工、鍛冶屋、石工、設計主任はすべて口石の人です。当時の戸数は80ばかりですが、街道端ではこれらの人が商売をやれるところだったようです。
会計の帳簿にもくわしく記録されていて、確認できました。村山の立木を売却して資金を作り、佐々村から2/3の補助金をもらって、作業には区民がこぞって参加して完成させた様子がうかがえます。したがって開通式のお祝いには、1升瓶で65本もの酒を飲んでいるのですからすごいものです。(余談)今は聞きませんが、1升口、2升口と言う人が口石にはごろごろいたと有名です。昭和50年に口石に引っ越した時、近所の人から口石には有名な大酒飲みがだれだれの3人がいて、道端に寝ているので夜、車を運転するときは、引かないように注意しなさいと最初に注意されました。後日そのうちの一人を道のはたの溝で寝ているのを見かけたので自宅まで連れて行ったら奥さんには、またかと迷惑がられました。今は3人とも亡くなられていますが、その中の一人は女性でした。しかし、男性の大酒飲みが多いのは圧倒的です。そのせいか口石の男は早死にする傾向にあり、敬老会の参加者の男性は他の町内に比べて極端に少ないものです。
会計帳簿には日付入りで記入されているので、経過がよくわかります。
2月21日 立木の入札、落札の1割50円入金
3月8日 橋の材料購入のため個人から200円借金
4月6日 立木売却の残金として400円入金
4月10日 橋の開通式(落成式)
4月11日 806円66銭全額支払う(落成式分含む、会計係は二日酔いにはならなかったようです)
5月10日 佐々村役場から473円26銭の補助金をもらう
5月20日 出不足金徴収56.5円(例年は12月)
12月20日 個人からの借金200円に25円の利子を付けて返済する。
橋建設に関しては山の立木が500円で売れるという事を原資にして橋の建設は進められていたようです。3月末日支払いの500円で契約していたものを、1割値引きして6日遅れて入金したのは、足元を見られてやむを得ず負けたのではないでしょうか。当時、口石区では区民を対象に金貸し業をやっていました。利息は1カ月で1.25%ようですから、200円の10カ月で25円の利子となります。資金繰りは自転車操業的にも見えますが、貸付金の額が昭和2年当初3000円ばかりありますから、取り立てれば何とかなるという事ではないでしょうか。