2010年5月10日月曜日

議事録6(大正13年)芝居小屋繁盛

また議事録に戻ってきました

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 大正拾参年一月七日
 初集会ニ於テ、協議員改選 四名ヲ八名トナス
区長改選ノ結果左ノ如シ
      区長    横田十三郎
      代理    池田  新
      協議員   志方重太郎
             渡辺久米治(★注1)
             森田 源八
             森田定四郎(貞夫さんの祖父)
             湯浅 籾造(★注2)
             藤永 宇平(繁さんの祖父)
             荒木数太郎(里へ転出)
             横田奥次郎
   右協議ノ上、区長代理共九名分ニテ、金参拾六円ト定ム

  大正十三年三月一日
一、檜植ノ時、総会ニテ、志方兼吉(伝さんの祖父)氏他九名ノ常設芝居所ニ対スル区内金トシテ三ケ年ニ壱百六拾円トシテ、向三ケ年ノ契約トス 但、毎年十二月二十日ニ一ケ年分受入スルコト
一、坪田卯作 寄留ノ相談アリ

   大正十三年七月六日 村祈祷集会
一、田植賃金ノ件
      男 一円十銭
      女 八十五銭 ト定ム
一、ゴーシギ草場入札ノ件
     玄米二斗  落札者 渡辺久米治
一、吉山加六氏ノ寄留相談アリ
一、山口市蔵氏ノ寄留相談アリ (山口市三が正しい)(★注3)

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(注1)渡辺久米治さんは藤永家に入り婿のようになっているので、大正12年までの議事録では「藤永久米治」となっているけど、実際には「渡辺」のまま最後まで通されたそうです。

(注2)湯浅籾造(ゆあさ もみぞう)さんは後の山口酒店のところで何でも屋の商店をされていました。籾造さんの弟菊造さんは小佐々の黒石へ移られ石炭や魚の運送業をされその後、さらに臼の浦で料理屋・旅館などをされました。現在そのお孫さんが「きく屋」として瀬渡しと旅館を営業されています。


(注3)この年口石に寄留された山口市三さんは、湯浅籾造さんの養女クミさん(実父は友田樫太郎、隣の家に養女にいく)と、当時は珍しかった恋愛結婚をされて湯浅商店の跡継ぎをされています。、山口市三さんの子供は6人(男3、女3)、長男は戦死されました。二男博(故人)さんの奥さんキヌ子さんは最近まで「山口酒店」として営業されていました。三男の方は田平で酒店をされています。3人の娘さんがたは現在もお元気とのことです。


★ この年協議員を4人から8人に倍増したのはなぜでしょうか。区長代理と同じ待遇ですから何かわけがあったのではないでしょうか。一人当たり年間4円の手当は田植え賃金1日1円の時代、高いのか安いのかわかりません。


★ 口石にあった常設の芝居小屋は志方さんたち10人でなされていたようです。3年契約で160円とはかなり高いような気もしますが、当時娯楽は何もなかった時ですから相当に繁盛していたものと思われます。土地は志方さんたちのものと思いますが、芝居小屋は口石からの資金で建てられていたのかもしれませんね。

 上の写真は芝居小屋跡あたり今は住宅地になっています。ちょうど「なんじゃもんじゃの木(ヒトツバタゴ)」の白い花が満開でした。

★ この年3人の人たちが寄留を認められています。しかし、現在では山口市三さん以外の子孫の方は口石にはおられないようです。



             
                    

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