2010年5月3日月曜日

木場の炭坑について(2)

 今回は木場の炭坑で掘り出した石炭をトロッコに乗せて、佐々の海岸の貯炭場まで運んだ道筋と、「トロ押し」(トロッコを押す人のこと)で活躍した口石の人について書きます。

 下手な図を描きましたが、木場の炭坑で掘り出した石炭はトロッコに乗せて口石を通り四ツ井樋海岸の積み出し港まで運んでいました。木場川に沿って、およそ4キロぐらいのなだらかな下り道になります。


 上写真は昭和20年代にトロ押しの猛者として活躍された福本徳一さん(大正11年6月生まれ)が案内されたトロッコ道が現在は農道として使われているところです。ほかにも末永雪市さん(故人)も地元では有名な人です。この二人はトロ押しで鍛えて足腰が頑健でその後、九州一周駅伝大会の長崎県代表選手として活躍されました。


 トロッコ道の跡はかなりの部分、道路として使われていますが、木場の上の方は藪になっているし、四ツ井樋の貯炭場に近いところは宅地になって残っていません。それにしても昔のトロ道はこんなに広くはなかったと福本さんはつくづくと言っておられました。




 上の写真はトロッコ道と国道が交差していたところです。左上から石炭を積んだトロッコが降りてきて国道を斜めに横断していました。当時の国道は車の往来は少なくのんびりしていたとは言え、ここには旗振りがいて安全に気を使っていたようです。右の道路が国道204号線で、この車は佐世保方面に向かっています。


 写真の中央の狭い路地をトロッコは海岸目指して下っていきました。右側の2階建ての家は当時から、「ぼたもち屋」と言われていました。現在はまったく営業されていませんが、今も、ぼたもち屋と言ったほうが分かりやすくよく言われています。トロ押しの重労働をしている人たちにとっては、このぼたもち屋で、ぼた餅を食ったり酒を飲んだりするのは至福のひと時ではなかったでしょうか。

 最後の写真は建設会社の資材倉庫になっていますが、貯炭場跡です。トロッコの終点です。石炭を積んで下るときは、勾配が大きいところでは、車輪に木を押し付けてブレーキをかけたりしたそうで、楽に下って来ても、帰り道は空のトロッコを山の上まで押し上げなければならないので大変だったでしょう。1日に5往復するのが普通だったそうです。 右奥の橋は最近架かったばかりのもので、当時は海だったところです。木場川の河口で今はずいぶん浅くなっていますが、ここに運搬船が横付けして石炭を積み出していたのですね。


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