2011年3月21日月曜日

昭和32年度の議事録①(諫早大水害)

  昭和32年4月8日  金刀比羅神社の舞台作り替えを公民館厚生部のレクレーションとして口石小、婦人部及び中年、元老方々らの協力を得て午後4時に完了す。引き続き隣保班長会を自宅にて行い、顔合わせをなし協力をお願いする。他今後の運営等に付き協議をしてもらう。   昭和32年7月14日 臨時総会     協議事項 1.公民分館長選挙、山本藤蔵氏に決定す 2.電灯増設に関して資金調達の方、各戸50円以上寄付してもらう事に決定。即日実行す。24日電灯取り付け完了 3.財産組合解散す。すべての土地、建物等部落民に解放する 4.第6班長、永安三七氏療養、家庭の都合上辞表、末永四郎氏就任す (参考)   7月25日突然、北部九州に大豪雨襲来、諫早、大村等は家屋の流失3000戸、死者2000、行方不明2000以上、汽車、バス、電信電話不通となり新聞も1日見ることが出来ず。我が佐々町も相当の被害あり。口石部落は幸い人畜に被害なくしかし、田・畑は相当被害を被る。50年来の大豪雨、雷も又強く落雷各所にあり。消防団の人々は連日連日警戒に作業に苦労す   昭和32年9月19日午前8時より     部落の臨時集会 1.財産組合の部落へ解放報告、完了 2.道路の補修等協議一決 3.9月20日越木岩の杉の下払、道路の補修を実施。見返橋の落成式に関連して今年は早めに道路の補修を行う 4.野菊寮及び藤永新氏前2ケ所に土管敷、排水口の完備等、今後の水害に備えて部落総出で実施完了。(21日は見返橋の落成式あり) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ★ 「参考」 として昭和32年7月25日の諫早大水害の事が記入されています。この記述では、死者・行方不明者の合計が4000人以上となりますが、実際には600人を少し下回っているのが統計数字で記録されています。それにしても大変な大水害をもたらして佐々町でもかなりの被害があったようです。  この時、私は高校1年でしたが、小学校の親友が諫早の農業研修場に行っていたのがいて、その時の悲惨な状況を後になって具体的の聞いたことがありました。当時の新聞写真を下に示します。

0 件のコメント:

コメントを投稿