2012年2月6日月曜日

石橋(5)松原2号橋

5.松原2号橋(まつばらにごう)吉井町直谷(直谷川)
 架橋年:不詳 橋長:5.6m 橋幅:3.4m

 この橋は昭和28年の5月に直谷に引っ越した時、田の元のバス停を下りて真っ先に通った橋です。その後も何かにつけて良く通っていました。特に炭坑の映画館、住友潜竜炭坑の済美館(上等)、日窒江迎炭坑の江友館(オソマツ)ヘ行くときは足取りも軽かったと思います。その頃、石橋ということを言う人は誰もいませんでした。文化財という意識はなく、生活に追われていたのでしょう。しかし、潜竜炭坑の周りは活気あふれる街でした。露店の店は人だかりがしていて、当時パチンコ屋はまだなかったけど、ビンゴ屋のマイクを通して若いお姉さんの甲高い声が昼間から道路に響いていました。路上での賭けごともおおっぴらにされていました。後から聞いた話ですが、潜竜のタバコ屋さんは九州一の売り上げをして何度も専売公社総裁表彰を受けていたと他のタバコ屋さんがうらやんでいました。炭坑夫には宵越しの銭は持たないという意気があったのでしょう。
 この石橋も立派なもので、当時石炭を満載したトラックが頻繁に通っていたし、バイパスが出来たとはいえ今も大型車も通っています。
 写真はあまりよくありませんが、夏場なら川の中から撮れば良かったのですが。地域に埋もれてしまったような感じの橋です。しかし、何としてもこの「松原2号橋」という名前はいただけません。すぐ近くに松原1号橋があるので、2号橋と名付けたのでしょう。と旧吉井町役場の職員が台帳の図面を拡げて説明してくれました。以前、このところの道は県道で町は関係なく、昭和56年にバイパスが出来た時、町へ移管され名前を付ける必要が出来、その名前を付けたようだとのことです。
 この橋が架かっている川は佐々川の支流の福井川の支流の直谷川に架かっています。松原1号橋が架かっている川は佐々川支流の福井川の支流の直谷川のそのまた支流の松原川に架かっています。石橋研究家のすえながのぶを氏の推測では「輪石、壁石等の造りからすると明治22年の里道改修時、佐々川流域では最も古い架橋」ではなかろうかと説明されています。どうみても2号ではありません。松原川にも架かっていませんが松原地区ではあります。
 このコンクリートのU字溝をひっくり返して作ったような橋が「松原1号橋」です。ここは松原川です。
 佐々川流域の石のアーチ橋には、説明板とか、標柱が建てられていますが、松原2号橋は何の説明もない数少ないもののひとつです。目立たずに文化財登録がされていないのでしょう。しかしこの橋は、何百年か後、他の石橋が壊れても案外残っているかも知れません。その時文化財に指定されるでしょうが、名前はその時は変えてもらいたいものです。川の名前をとって「直谷橋」とすればよさそうですが、すぐ下流にその後作られたコンクリートの橋が直谷橋ですからそれもできません。後の時代の人に考えてもらいましょう。

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