2012年2月13日月曜日

石橋(6)板樋橋

6.板樋橋(いたびばし)佐世保市吉井町福井(佐々川支流福井川)

架橋:昭和6年 橋長:18.3m 橋幅:5.3m

 写真のようにしっかりとした橋で自動車も普通に通れます。しかし、この橋を通ったのはごく最近になって、帰省した同級生が親戚宅を尋ねるというので、板樋集落を訪れたときでした。先はずいぶん狭い道となって通りづらく、まとまった集落はなく家もわずかしか見当たりませんでした。小学校6年の夏ごろ台風襲来のため、授業を打ち切って早めに、それぞれの部落単位で集団下校することになりました。そのとき板樋部落の子供が妙に元気良かったのが記憶にあります。もっともみんなが雨に濡れながらも楽しそうにしていましたが、誰一人として保護者が迎えにやってくることはありませんし、先生の引率などもありませんでした。仲良しの友達が出来ずに板樋には行く事がなかったのです。現在、板樋に行くときは別の橋を通る広い道路が出来ています。近くに老人施設が出来たためでしょう。昔に比べたらこの石橋を渡る人はめっきり少なくなったようです。 この橋のたもとに直谷(なおや)城主墓石塔群があります。すぐ近くの内裏山には平安末期から江戸時代初期まで460年ばかりも続いた「直谷城」の古跡があります。志佐氏の居城ですが3度の落城の歴史があるそうです。小学校の頃、崖の所を姫落としとの話を聞いた時、お姫さんを突き落としたところと思い込み恐ろしいところだと感じていました。そのとき壇ノ浦の源平合戦で負けて死んだはずの安徳天皇が秘かに助けられてこの城で暮らしたとの話を聞きました。内裏(だいり)という地名は他にはないとか山の下の松浦市の御厨(みくりや)という地名は天皇のための料理をした厨(くりや)であるとのことでしたが、信じられませんでした。今になって見れば、平安末期に作られた城という古さを強調するための話だったのかもしれませんね。



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