2010年11月8日月曜日

昭和20年の議事録(書類入れ木箱)

 昭和20年1月7日(於公会堂)
      協議事項

一、会計報告 承認を得

一、役員改選の件

 力竹増太郎氏議長となり各班より三名宛を選出し推薦員として別座で協議の結果左の通り推薦あり

   部落会長    横田健雄

   代理兼配給係  森田亀一

   会計       山永朝一

 右三名とも承認なく後日に至って改選することに決す

一、各班長は後日班内の推薦あるいは選挙にて選出する事に決し本日は各役員並びに班長の決定せず散会

一、会長以下三名の役員を推薦通り度々相談に会せたるため三月末に至りて三名とも承認あり 又班長も各班より申し出あり左の通り

   第一班  小川益一
    二   藤永三代四郎
    三   松田幸四郎
    四   佐伯寅一
    五   宮島熊太郎 
    六   山本藤蔵
    七   川副 豊
    八   池田 新


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 昭和20年は大東亜戦争敗戦の年です。当時の議事録を読んでいて気付くのは、ペン書きでその質が悪いことです。普段はコピーを読んでいますが、この頃のは読みづらくて原本を見ながら判読しました。

 この年の記録は、役員改選の事だけでした。役員のなり手がなくさんざん苦労している点は最近も同じようなものです。それにしても敗戦に至る経過などは全く記録されていません。

★ 口石5班の班長さん宮島熊太郎さんは大工さんでした。孫の真知代さんの旦那さんは左官さんで父親は鍛冶屋さんと3代とも職種の違う職人さんだそうです。

 このブログのはじめの頃に明治43年に作られた木箱の事を書きましたが、昭和18年7月6日の会計帳簿には「召書入箱代」として宮島氏へ3円支払ったとの記録があります。蓋つきのきっちりとしたものです。今年の集会所完成の際に見つかりました。
 (写真は、昭和18年に宮島熊太郎さんが作ったと思われる町内会の書類入れの木箱)





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