2011年5月9日月曜日

口石高等小学校

 長崎県立第十三高等小学校は明治19年に創立して、わずか6年ばかりで廃校になりました。その跡地(現在の口石小学校)に佐々村を中心に8か村による組合立の「口石高等小学校」が作られました。

 当時、鹿町村から入学した人の話を聞きました。下の写真の中央に書かれている坂本源一郎さんです。父親は当時、初代の鹿町村長をされていた坂本清太郎さんです。この人は筆まめな人で原稿用紙に非常に詳しく書き記されています。その後、知り合いの牧師さんがガリ版刷りの小冊子にまとめられたのを読む事が出来ました。
 明治29年4月1日、「口石高等小学校」に入学して、卒業後は平戸の猶興館中学に進まれています。その後、満州に渡り波乱万丈の人生を送られたそうです。
 口石高等小学校では寄宿舎生活を送られたそうですが、鹿町から登校する時は、お供が付いて来ていたそうです。おそらく江迎の高岩から江里峠を越えて歩いていたのではないでしょうか。最近、平戸街道ウォーキングで通っている道です。およそ14キロですから3時間はかかっていたのではないでしょうか。口石高等小学校は明治31年2月に廃校になって、佐々尋常高等小学校に引き継がれているので、この方の明治33年の卒業は「佐々小学校の高等科」ということになります。その当時には、鹿町や江迎にはまだ高等科は設置されていなかったのではないでしょうか。

  このページには11人の氏名が書かれていますが、2人だけが「士族」で他の人は「平民」となっています。終戦になるまでは身分制度が残っています。

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