神近市子と言えば佐々町出身では全国的に有名になった人はこの人だけでしょう。若い人は知らないと思いますので代議士に当選した時の新聞写真を示します。



女史の子供時代の話は、女の子ではありながら武勇伝的なものが語り継がれています。その事は佐々町郷土史にも書き記るされています。当時流行していた「汽笛一声新橋を」で始まる鉄道唱歌の15番に「ここぞ御殿場 夏ならば 我も登山をこころみん・・・」と富士登山のくだりがあるのを男の子たちが御殿場を「お転婆」と替え歌を歌い冷やかしていたそうです。中には女史に捕まってこっぴどくやられた者もいたそうです。またこの郷土史の編集委員長の宮原九一郎さんから聞いた話では、女史は小学校時代、佐々橋の角材で出来た欄干の上を男子でも出来ないのに平気で歩いていたと先輩から聞いていたそうです。東京で一旗あげた人ですから田舎でこのくらいのことはやりそうですね。


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